院長の独り言【2011年 平成23年】

<院長の独り言 パート105>
『10年目のクリスマスシーズン到来~トリビア~』  

さてさて前回は『天は患者の上に医師を作らず。また医師の上に患者を作らず』についてお送りしました。
また患者様との10周年記念パーティーが11月20日さいきじんクリニック.にて行なわれました。約200名にものぼる患者様のご来場誠にありがとうございました。
今回は『10年目のクリスマスシーズン到来 ~トリビア~』についてお話したいと思っています.

まずはまた年末ワクワクシーズンがやってまいりました。
素敵なイルミネーションがあちこちを彩っています.広島にはドリミネーションという光の祭典があるのですが皆さんは参られたことはございますでしょうか?

さて,最初にクリスマスのトリビアでまず問題です。

【クリスマストリビアテスト6連発】
(1)サンタクロースが赤い服を着ているのは、もともとコカコーラの宣伝用として作られたニセの姿だからである 【○or ×】

(2)クリスマスをXmasと省略したのはサザンオールスターズの桑田佳祐が初めである【○ or ×】

(3)クリスマスカードは、喪中の人には送ってはいけない 【○ or ×】

(4)クリスマスとは、もともと「クリスが結婚した記念日」という意味である 【○ or ×】

(5)イエス・キリストは実際に12月25日に生まれた 【○ or ×】

(6)外国では、クリスマスカードは12月10日前後までには交換し終わっている 【○ or ×】

<答え>
(1)サンタクロースが赤い服を着ているのは、もともとコカコーラの宣伝用として作られたニセの姿だからである【○】
もともとは妖精サイズのサンタクロースを、等身大のサイズに拡大したのはアメリカコカコーラ社の宣伝部でした!コカコーラ社は、同社のイメージカラーである「赤」をサンタクロースの衣服に重ね、サンタクロースがコカコーラを飲んでいるイメージのポスターや広告を大量に作成して、ブランドイメージの
浸透を図ったらしい。赤い衣装を身にまとい、ひげをたくわえたずっぷり太った老人は、実はコカコーラ社が作り出したものだったのです!

(2)クリスマスをXmasと省略したのはサザンオールスターズの桑田佳祐が初めである【×】
クリスマスのことをよくXmasと書きますが、これはギリシャ語でChristを意味するXristosの頭文字からとっているものです。ちなみに、桑田佳祐は、「ニューハーフ」と言う言葉を作ったことで有名。

(3)クリスマスカードは、喪中の人には送ってはいけない【×】
喪中でも送ってOK!

(4)クリスマスとは、もともと「クリスが結婚した記念日」という意味である【×】
クリスマスという言葉は、"Chirst"(キリスト)の "Mass"(ミサ・祭日)という意味です。つまり、キリストの誕生を祝うお祭りという意味なのです。

(5)イエス・キリストは実際に12月25日に生まれた【×】
ローマでは、12月の冬至(昼がもっとも短い日)に「これからまた日が長くなり光が蘇るぞ!」という意味を込めて太陽を祭っていました。
273年にはローマ皇帝アウレリアヌスが12月25日を太陽神の誕生日と制定しました。そして、336年にはこの祭日を利用して(イエスは正義の太陽と呼ばれていた)イエス・キリストの誕生を祝う日と定めたわけです。

(6)外国では、クリスマスカードは12月10日前後までには交換し終わっている【○】
 終わっています。

こんな楽しくて…また少し切なくて…イルミネーションに引き込まれて 現実世界と自然と引き離される世界…クリスマスイブからクリスマスにかけてこのトリビアを大事な人たちと語り合うそして目の前にホワイトクリスマスがあれば…とっても幸いです。

皆さん一緒に幸せになりましょう。皆様にもそんな経験ありますでしょうか???

平成23年12月2日

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<院長の独り言 パート104>
『天は患者の上に医師を作らず。また医師の上に患者を作らず』  

さてさて前回は『10周年 記念パーティー式典 A Decade ~心の旅~』についてお送りしました。多忙な中 約200名近くの方が参加してくださり大変感謝いたします。この場をお借りして皆様には深謝いたします。

10周年記念パーティーにて 10周年記念パーティーにて

今回は『天は患者の上に医師を作らず。また医師の上に患者を作らず』 
についてお話したいと思っています。

最近はツイッターよりもFACEBOOKにはまっていて、一日一回つぶやこうと心がけている私です。
ここんところ講演が多くて聞きに行く方もする方も…でも楽しくて…またしんどくて…
新しい知識を吸収。講演前に勉強して少し知識アップ…こんな繰り返しです。

場合によっては東京や大阪に出かけ、そして半年ほど前は鞆の浦(坂本竜馬の船が沈んだところ、何より「崖の上のポニョ」の作品のおおもとになった場所)で多くの別施設からの患者さんにお話ししました。
そこで私はこういいました。
「天は患者の上に医師を作らず。また医師の上に患者を作らず」

福沢諭吉からのパチリみたいですが、常に意識に置いてます。もちろんこれは私個人の考えに他なりませんが…
私は人間的にできているとは思わないし患者さんより優れているとは思わない。ですが共通の病に対してどうつきあっていくのか? は足並みがそろわないと難しいぞ。ということなのです。
たとえば患者さんが非協力的で目的だけ達成しようとしてもそれはできないのであります。そういう時は私は真剣に怒ります。でも難しいなら撤退します。そんな場合は薬を入れることは却って毒になるのであります。こんな現代自分のことも他の周りの方もいやな思いをすることも多いのです。
そんなとき多くの土地に仕事(講演など)で行く。多くの自然と触れ合います。その分とても素敵な時間を過ごしている気がするのであります。

つい最近面白いテレビ番組を見ました。何年か、刑務所に入っていた人たちが何がご馳走であったか?何が刑務所で最も楽しかったか? 中には神父さんになっている人もおられました。そんな方たち、とても大変ないろんな人生を背負ってこられたのもわかりました。

そこで皆さんの発言で共通だったのは、実社会に対しての思い、淋しさを感じていたんだということが感じられたんです。どんな人でも(強く見える人も、強がっていた人も…)やはり人間は一人では生きていけないし、本質は淋しがりなんだと思いました。
そして感謝をして生きることの重要さ、生かされていることへの感謝…本当にこの世の中は学ぶことが多いです。

皆さん一緒に幸せになりましょう。 皆様にもそんな経験ありますでしょうか???

平成23年11月2日

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<院長の独り言 パート103>
『10周年 記念パーティー式典 A Decade ~心の旅~』   

さてさて前回は『名言<感謝>に対する名言を中心に』についてお送りしました。 今回は『10周年 記念パーティー式典 A Decade ~心の旅~』についてお話したいと思っています。

さあ、10周年パーティをどんな形で行なうのか? とても悩みました。そして散々悩んだ上医療関係、業者さんらと患者さんたちをわけてパーティーをすることにしました。つまり我々2回に分けてパーティーをすることにしました。

A Decade とは10年を表わします。私は旅がすき、TULIPがすきです。だから心の旅です。今は心に残る感動できるパーティーを目指して月2回話し合いをしています。これがインターネット上にのるときは もう最終段階になっていることでしょう。

ここ10年のまとめ、反省をして再度もう一度このクリニックの進む方向を確認してみたいと思っています。

動機は単純なもので、困難と思えるものでした。開業をしたきっかけは、人に使われていては自分の理想の医療に到達できない… と感じたことです。

1、まずこの地区の腎臓専門医が当時少なかった事がきっかけになっています。

2、次に私は今の医療の世界は医師は比較的有名になる事は簡単にできますが、一人くらい真剣に医師でなくコメディカルの地位を高めること、医師よりも有名なコメディカルが育ちやすい環境を整えるこそんなクリニックができたらいいなあとおもいました。そしてこれこそが実は人材育成に。ほかなりません。なぜか単純にその方が医療はチーム医療になるのでは? と強く思ったのでした。

3、医療医療しているつまらないクリニックではなく、ユーモアやいつも想定外であるクリニックでありたいと思いました。

このようなことが大きなきっかけでした。

だから、うちのクリニックは臨床だけでなく、常に疑問を持ってあたらないといけないシステムです。一般にはしんどいクリニックであります。また私のリーダーシップも充分でなかったため多くのスタッフが卒業しました。しかし少しずつではありますが人が根付こうとしています。

何よりも人の動きが常に絶えないクリニックであることは職員のみでなく、感じられるのであります。

常に動的であり、あまり良くないかもしれませんが、それこそがさいきじんクリニック.であります。

理念は まず一番に人を創ることであり、それを特にコメディカルに置いているのであります。  

とにかくスタッフに感謝です。よくもまあこんなにしんどいであろうクリニックで働いてくれています。本当に頭が下がる思いです。 いつもありがとう…

“あーだから今夜だけは君を抱いていたい… あー明日の今頃は 僕は汽車の中…。 旅たつ僕の心を知っていたのか? 遠く離れてしまえば愛は終わるといった。 もしも許されるなら… 眠りについた君をポケットに詰め込んで そのまま連れ去りたい…” 

この切ない思いの歌詞をみながら、我々さいきじんクリニック.の独自の旅が始まるのです。  

皆様に感謝の気持ちをこめて…   

A DECADE ~ SPECIAL HEARTFUL TRIP IS STARTING.

平成23年10月2日

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<院長の独り言 パート102>
『名言 <感謝>に対する名言を中心に』   

さてさて前回は『発想の原点 我々も学ばねばならない言葉』についてお送りしました。

今回は『名言 <感謝>に対する名言を中心に』について お話したいと思っています。

さあ、このコラムでも時々出てこられる「あいだみつを」さん。彼は感謝のエキスパート、プロと 思っているのです。だからとても謙虚であります。 私の持論ですが感謝できない人は謙虚になれません。つまり謙虚な人は感謝を知っています。 尊大な人は感謝の心を忘れているのです。

最近では民主党の野田新総理も「あいだみつをさん」をあのどじょう発言で引用しこう言ってます。

“どじょうがさ 金魚のまねすることねんだよなあ…”と実に重きお言葉であります。

野田内閣には「とにかく具体的に動いてごらん。具体的な答えが出るから…」とあいだみつをさんの言葉で激励をしておきます。

いつも前置きが多くてスイマセンが、感謝の名言にはどんなものがあるか? エキスパートあいだみつをさんから学びましょう。{いいことはおかげさん わるいことは身からでたさび}「おかげさま」と感謝できるのは幸せなことです。さらに、感謝の気もちを今後につなげていければ、なおいいでしょう。時には、「おかげさま」に気づき、感謝の気もちから始めることができたらいいの ではないでしょうか。

『私の、このヘタな文字、つたない文章も、見てくれる人のおかげで書かせていただけるんです。〈おかげさん〉でないものは、この世に一ツもありません。みんな〈おかげさん〉で成り立っているんです』

さあ最後に 「感謝」に関する名言です。

『いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび』 相田みつを

『感謝する技術とは、あなたの感謝の気持ちに手や腕や脚をつけ、声を加えることで感謝することである。感謝する技術とは、他人も幸福にしようと努力することで自分の幸福を感謝することである』
ピーターソン

『感謝の心が高まれば高まるほど、それに正比例して幸福感が高まっていく』 松下幸之助  

『深い思いやりから出る感謝のことばをふりまきながら日々を過ごす―― これが、友をつくり、人を動かす妙諦である』 D・カーネギー

ここにある名言はきっと十背一括に役に立つはずの言葉です。しかし実は簡単なようでとても難しいのでもあります。

幸せは自分ひとりに降りかかっても他人のいない世界では幸せかどうか? さえわからないのであります。皆さん幸せになりましょう。

皆様にもご参考になれば幸いです。

平成23年9月2日

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<院長の独り言 パート101>
『発想の原点 我々も学ばねばならない言葉』

さてさて前回は『東北事情…やはり百聞は一見にしかず…我々は何を感じたか? そして何ができるのか?…』についてお送りしました。

今回は『発想の原点 我々も学ばねばならない言葉』について お話したいと思っています。

先月ANAの飛行機に乗っていました。そこで多くの成功者の話しを機内のテレビでやっていました。
その中でためになる話があったのでここで述べたいと 思います。

タイトルはずばり ~発想の来た道 特別総集編~ 世界に誇る日本人たちです。

#01 料理人 輿水治比古
クリントン大統領の料理を作った男 リゾット入りオムレツなど奇抜なアイディア
もともとは歯科技工師だった。
初の燻製醤油(初めて液体を燻製にする)

発想の原点
どんな事でもまずやってみること 失敗覚悟でやること(どんな経験も大切)  

#02 伊達家御用蔵 蔵元 伊澤治平 
今の日本酒がおもしろくない→ブルーチーズに合う日本酒をつくる  

発想の原点
伝統に決して甘えない

#03 左官 狭土秀平
手がけた仕事:洞爺湖サミット
ザ・ペニュンシュラ東京→人間関係うまくいかず、土壁をアートにする。
生まれ故郷の田舎はしがらみがあったが、東京はフェアだった。

発想の原点
同時にいくつもの仕事を抱える→たくさんあると追い詰められて頑張る
仕事の同時進行でさえた発想  

#04 和紙クリエイター 堀木エリ子 
元銀行員 手がけた仕事は東京ミッドタウン 
キャンバス京都 薄い和紙を七枚重ねて1mmもない1枚にしたアート

発想の原点
不可能を可能に できる前提→できない発想を捨てたらできる事しかない

#05 インテリアデザイナー 片山正通
原宿や表参道にはデザイン多くみられる
『日本の社長』という本を見て勉強

発想の原点
方程式は捨てる→できるだけ素人でいること  

#06 ツリーハウスクリエイター 小林 崇  
職を転々 飽きっぽくダメ人間で35歳でツリーハウスに出会う (この時ツリーハウスをするなら,友人失って一人になってもいいと思った)
米国で学ぶ。

発想の原点
生き方に責任を持つという覚悟から  

#07 デジタルサイネージ開発者 井部孝也  
デジタルサイネージ  100人の人が広告塔を見ているかいないか? を確認するカメラの発明   
これで見ている人が少ないと宣伝物をすぐに差し替えるなどできる

発想の原点
アイディアをからしてあたらしいものをだす。自分の中にあるものを出しきって、発想がでやすくなる。

#08 加圧トレーニング発明者 佐藤義昭  
そんなものあり得んと→それはそれは信用されなかった。
まず正座してから思った。正座でしびれた足=筋肉トレーニングの足に似ている!
30年経ってから(1997年)特許がおりる 東大でもトレーニング
苦しむこと→その後発想が来る

発想の原点
苦しむこと→その後発想が来る  

#09 ホテルプロデューサー 油井啓祐  
京都にあるナインアワーズ  外国人の宿泊室  
最先端の睡眠システム導入 ロッカー ②シャワー アメニティは成分分析からする(タオルや服) Good Designアワードとっていて

発想の原点
行きたい場所を先に決めて無理やり進む  

#10 ウルトラテクノロジスト 猪子寿之  
ルーブルのデジタルアート 会議室は壁がない マルイのデザイン変更して
60%売上UPした実績あり

発想の原点
常識の壁を取っ払ってみる。

恐れながら上記の成功者の方たちに並ぶことはできないですが、私の「発想」についての考えを申します。私の考えを述べます。発想というのは難しいと考えられることも実はきっと難しくない。 おそらく難しく考えているのは我々であって、本来はもっとシンプルなはずだ。と強く思うことから始まる。
足りないから埋める。苦しいから助ける。心が邪(よこしま)でない限りきっとシンプルである。 皆さんもアイディアがあればぶつけてみませんか?  私も今後発想をするときは上記のプロたちに学んでいこうと思います。

皆様にとってもご参考になれば幸いです.

平成23年8月5日

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<院長の独り言 パート100>
『東北事情…やはり百聞は一見にしかず…
我々は何を感じたか? そして何ができるのか?』

さてさて前回は『患者さんからの苦情…少ないけれどありますねえ…』についてお送りしました。
今回は『東北事情…やはり百聞は一見にしかず…我々は何を感じたか? そして何ができるのか?』についてお話したいと思っています。

6月のとあるある日。我々は当院の10周年を迎えるための準備について会議を行なっていました。 何が我々にできるのか? いろいろ政治の空白があり、そして進んでいるようで何も進んでいないような現実もかいま見えたりします。

その上義捐金はまだ15%程度しか使われていません。 我々今年で10周年を迎えるのですが、パーティー気分にあまりなれない。パーティーを縮小して何か東北を応援しよう…実際にお金をどう落とすか? 考えてみようと考え、一度現地を実際に視察してみようということになりました。

一日目 気仙沼市へ…ここでは現地の方に声をかけてその方がご案内してくださいました。

二日目  東北放送の役員と腎友会の方との懇談をして、その後石巻市に参りました。
今回の震災視察の総決算をここで述べたいと思います。

<目的>は我々にできることはないか? それを探すこと。

<行動>はまずはメディアやインターネット、透析関連の施設などから聞き取り調査をし、その結果今は落ち着いてきたので大丈夫と言われたが、果たして本当にそうなのか? 疑問がぬぐいきれなかった。 実際にその地に行ってもう少し調査をしようと考えたわけです。何より やはり百聞は一見にしかずである。

<視察の実際、実況中継> まずは仙台駅近辺はあまり地震の傷跡は感じなかった。そこで気仙沼市に向かうことにした。そして2時間半前後で気仙沼市へ。市内へ入っても「どこが?」「何が?」というような感じであったが…港に近づけば近づくほど景色が様変わりしてきた。

そして何より匂い。これは腐敗臭ともいえるような匂い。多くは海から市街地に打ち上げられた日干しになった魚、また海に近いこの土地はやはり魚業が盛んでその冷凍庫、冷蔵庫は全滅状態。魚が腐る。また言いたくはないが、ゆくえ不明者がいっぱいおられ、瓦礫の中にまだおられる可能性もある。生物は消えているが、その中でも元気なのはカラスとハエのみであった。とても衛生面と感染症(流行病)が心配であった。

街のおじさんに会った。茶色いダックスフンドをつれたその初老のおじさんは町を案内してくれるといった。奥へ進むともっと惨劇があった。港近くのみでなく、港から600mまで壊滅状態である。また船はありえない形に反転するは、横転するはで、車は破壊と言うより粉砕されていた。この世の出来事に思えないようなことばかり…一方で津波が押し寄せ、一方で大規模な大爆発で火事そんな惨劇があったようです。

最も心にきたのは、子供のおもちゃが散乱して、写真が散乱し、服も乱れていて、ユニットのお風呂がむき出しになっていたこと。なんとも言えない悲しみと口惜しさがあって、心がこんなに疲れたことはなかった。

翌日は朝10時から東北放送さんと話し。医療機関:150箇所が90%が壊滅状態である。

医師不足と看護師不足の中でどのようにするのか? 現地でプレハブで再開しているクリニックや病院もあるよう透析を受ける人の交通方法が無い。 

車がないと動きがとれない。土地への思いが強すぎて動きづらい。 その他水問題などなど

その中でも最も今困っているのは、行政にも従わず頑固に家にいるやはり自宅帰宅者であろうとのこと。また約3ヶ月たって精神的なストレスが爆発しやすい頃であろうと…いい意見を頂きました。ありがとうございます。

その後13時から腎友会と話し。90%の医療施設倒壊したのである。石巻私立病院(透析施設)は病院院長以下40数名が全員流された。また壊滅した透析施設が南三陸町にあったなど。また気仙沼市の透析患者は2ヶ月間北海道で対応してもらったが、故郷を思う気持ちが強く、帰ってきたなど確かに透析は何とか受けれているようでしたが、食、栄養面や交通手段などのQOLの向上が求められていました。そんな話しを頂きました。そして医師の紹介も受けましたが、時間上難しかった。

総括

やはり百聞は一見にしかず…我々が想像したよりもはるかに今回の震災は爪あとが大きい。 一生懸命考えてみる。その上でできることを何でもする。難しいと考えられることも実はきっと難しくない。おそらく難しく考えているのは我々であって、本来はもっとシンプルなはずだ。 足りないから埋める。苦しいから助ける。心が邪(よこしま)でない限りきっとシンプルである。 皆さんもアイディアがあればぶつけてみませんか?  そして是非、被災地に出向いてください。

被災地視察でも、観光でもいい気がします。その場所にお金を置いてくることが大切な気がします。 今、義援金は15%しかいきわたっていないようです。だから実際にお金を落とすことが重要です。 私も計画を練ってもし今後何かを行なうなら月に数回は出かけていこうと思います。会ったらお声をかけてくださいね。

平成23年7月11日

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<院長の独り言 パート99>
『患者さんからの苦情…少ないけれどありますねえ…』

さてさて前回は『居るべき場所。居るべき時間。そして居るべき人』~友よ、 久しぶり。こんな時間も必要だね〜についてお送りしました。

今回は『患者さんからの苦情…少ないけれどありますねえ…』についてお話したいと思っています。

4月になっていろんな事が変化しました。特にスタッフが変化しました。 一人のドクターが去りました。いろんな理由がありますが、これはしかたない理由であると思いますし、より幸せになるためによかったのではないかと思っています。また看護師さんも数名去りました。そして技士さんもわずかに去りました。なぜか今年は結構この4月は変動が大きい気がしています。

そんな時期なんだと受け入れています。患者さんから苦情もいただきます。その度に何とかならないか?いつも思うのであります。そしてつい先だって、病院名は言えませんが、この地区でもとても大きな施設の2病院の病院院長と話しをしていました。その際にいつも出てくるのは、スタッフ、とくに看護師の入れ替わりがとても早く、医療を行なう上で大変看護師不足は深刻であることです。「病院の旅行など福利厚生をよくして引きとめようとしてるがなんともいかない。」 「超勤はせんように8時間でいいからきっちり勤務してくれたら助かる。といっても辞めていく」などなど…なぜかわからないけど人間関係のようだともおっしゃてました。

私はどこも一緒だな…と思いました。しかしだから満足しているわけでもありませんし、自身のところの改善をしないつもりでもありません。 ただ、辞めるといってきている人を止めることは極めて困難です。 なぜなら人の心はなかなか変えるのは難しい。いや、本人が変わろうと思うまで変わらないというのが正解と思っています。

私もさみしいけれど、患者さんはもっと悲しいのだと思う。どうしても患者さんの声は届かない。だから患者さんにお願い…今いる人を大事にしてください。私の個人的評価でありますが人間関係が嫌だから辞めるなんて考えるのはプロではないと思っています。むしろ責任放棄と思うのです。ちゃんとした辞め方ならしこりは残りません。

確かに人がいなくなるのは悲しいけれど、成人の人を縛り付けたり、あるいはその人だけ条件を変えて引き留めるのもよくないので、私はこれからも引き留めないつもりです。その変わり残っている人を大事にしていきましょう。我々もそのつもりです。 残っている人は皆さんをみています。ぶれていないのです。 もちろん辞める方の全てが皆さんを見捨てているわけではないと私も思います。いろんな事情があるのですから、仕方ない部分もあります。だったら建設的に残った人を今以上に大切にしていくのです。それが伝わればいいのです。私はいろいろ誤解もあるようですが、うちのスタッフはとても大切なのです。だから辞めると聞くとすごく悲しいです。   今私がこんな思いをするのはやはり昔の病院をでて、多くの優秀なスタッフと一緒に出ました。だから「因果応報」で今私に跳ね返ってきているのだと思っています。

自分のまいた種… 必ず跳ね返る。だから、受け入れています。

因果応報。今私はその最中なんだと。

平成23年6月8日

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<院長の独り言 パート98>
『居るべき場所。居るべき時間。そして居るべき人。
~友よ、久しぶり。こんな時間も必要だね〜』

さてさて前回は『哀しみと感動と…』東北大地震から学ぶことについてお送りしました。
今回は『友よ…久しぶりだねえ…』こんな時間が必要だねについてお話したいと思っています。 実は今回はこの予定ではありませんでした。なぜこんなものにしたか? それは先日2月末名古屋で8年ぶりくらいに大学時代の親友にあったので、ついついその話題にしたくなりました。

彼とは青春ど真ん中を一緒に過ごしたのであります。大学入学のときに君は私の右隣にいた。 はじめて挨拶をしたのは当然君だった。君は7寮、私は6寮だった。 音楽が二人好きだった。君はフュージョン、私はニューミュージック… 寮を出ても同じアパートに住んだなあ。名前は「コーポ八杉」。私が101号、君が103号。 そう君の名前はH君(通称P君)。忙しい時間を削って名古屋まで23時頃に君はやってきて くれた。私達、久しぶりに会ったにも関わらず、なぜか違和感がなくてごく自然な時間が過ぎた。 時間を忘れて5時前まで話をしたね。

青春まっただ中では、お互い社会人でないから…話の内容は薄かったかもしれない。でも 一生懸命だった気がする。正しいとか、間違っているとか関係なかった気がする。 自分の信じるように生きていた。僕はあの頃の自分にこう言いたいと思ったんだ。 「これからいろいろ大変なこともあるけれど、大丈夫だよ」って… 今は何十年と医師をしている。お互いいろんな時間を過ごしたんだ。そしてお互い同じような 感性で医師のあるべき姿をみていたんだ。

だから医師のモラルや倫理観などがすごく一致した。それよりも何よりも人としての生き方が 基本的に同じ感覚だったことが何より嬉しかった。 そこで確信した事は、何だったか??? またすぐにH君と会うだろうな。ってこと…

そして感じた一つの事。

人は居るべきところに、居るべき時間に、居るべき人と居るんだなあ…という事。

本当にお互い忙しい時間ではありましたし、わずかな時間ではありましたが、刺激をしあって、感性を 確認したいい時間でした。又会おう…H君

皆さんもそんな人が居られますか?そんな人がもし思い立つのであれば無理しても会ってみては いかがですか? 居るべき場所、居るべき時間を探してみたらきっとあなたもハッピーです。

さあ今日はひな祭り…もうすぐ足早に春一番がやってきそうな今日この頃であります。

平成23年5月2日

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<院長の独り言 パート97>
『哀しみと感動と…東北大地震から学ぶこと』

さてさて前回は『ありがたいことに…おかげさんで…』についてお送りしました。

今回は『哀しみと感動と…』東北大地震から学ぶことについてお話したい と思っています。

今、この話題を取り上げずに何を話すのか? 我々はこの地震で学ぶことは山ほどあるのだと思います。それは日本人の忘れかけていた心であり、これからの日本人のビジョンを見直すことでもあります。

いつも私見でありますが、お許し下さい。一つの参考にしてみてくだされ嬉しいです。

最近こんな話がいくつもありました。
その度に「平和なんだなあ。日本は…」と思っていたものでした。当院はうちのクリニックでできることを最大限支援して行こう。という事になりました。

寄付をしたらいい。派遣をしたらいい…そんなレベルの話しではありませんが。派遣をいざするとなると、積極的に行こうとする男性と、それを引きとめようとする女性の姿がとても印象的でした。それについて述べたいと思います。

今回の地震は
①まず緊急性や復興という点では今は戦争後の状態と似ていて極めて疑似体験と考えるとわかりやすいこと
②とても近くにその体験者がいた
③こんな時こそ人としての能力が試される
④男と女の本質がでやすい
⑤人間力や本質を保ち育つチャンスである
思いつくままにここにあげてみました。

ここからは私の祖母の体験であります。うちの祖母は25歳で未亡人になりました。祖父は医師で患者さんの徴収命令がかかったのでありますが、患者さんがいける状態になかったので代わりに軍医として中国へ渡りました。もちろんその際とめませんでした。男はそういうものだとしっていたから…そして亡くなった。 祖父29歳でした。その後意志をついで祖母は医師になりました。

これ全て実話であります。私はとめる女が悪いとはいわないし思わない。しかしこんな考え方もあると知って欲しい男は家のためにだけ働くようにできていないのだ。むしろできる男は、逆であることが多いのである。もちろん家に責任がないわけでない。そこで思う。災害も戦争も似たような緊急時です!  こんな時、動けないなら、男として働けないなら日本は存続しえない! すぐに他国に奪われてしまう。

今でも尖閣諸島や北方領土など日本は多くの苦汁をなめて生きています。今、まさに軍隊のないこの日本が、唯一誇れて、また相手国が恐れまた尊敬するところ… それがまさしく日本人のこの精神なんだと思う!  

私はとても日本人をこの災害で見直したし、日本人の大きな武器はこれだと思う。やはり素晴らしく凄いのだ日本は、困難はあれど貧乏はあれど貧困のない日本! 必ずや復興するに決まっている! 皆さんも自分の事ばかりを考えないで下さい。「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望おこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基」徳川家康の有名な遺訓であります。今こんなときだからこそ、心にしみてくるものです。こういった感覚から考えると、行こうとする男、行かせまいとする女…実に特徴ありきでありますが、男には男にしかできないことがあることを今知るべきなのであります。

皆さんは今回どんな思いで何を感じて得られたのでしょうか? よい人生が皆様とともに存在しますよう…。

平成23年4月2日

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<院長の独り言 パート96>
『ありがたいことに…おかげさんで…の魔力』

さてさて前回は『だらしなさの不幸、だらけの勲章』についてお送りしました。

今回は『ありがたいことに…おかげさんで…の魔力』についてお話したい と思っています。なぜこんなものにしたか? それは最近私の患者さんとの接触でよく伺う言葉だから なんです。そしてよくよく考えてみると…そういう人たちはどんな患者さんが多いのか???  一定の傾向がありました。

一つの参考にしてみてくだされ嬉しいです。さて、ありがたいことに…おかげさんで…をおっしゃる患者さんは10名前後。しかしその中で「連発している患者さん(=くせのようにおっしゃる方)」は5名ほどおられます。 その特徴は

1)全て女性である
2)80歳前後(78-86歳)
3)病気についてまずは安定している
3)全ての方に痴呆が全くない
4)一人で歩き一人で何でもできる
5)幸せそうです
6)よく笑っておられます
7)目が生き生きされています。
8)言葉使いが非常に丁寧であります。

前年度のある日、その患者さんの一人とこんな話しをしました。

医師私  ○○さんは,よく「ありがたいことに」か「おかげさんで」とよく使われますね。 
私,実はこんな傾向を感じるんですよ。よく「ありがたいことに」か「おかげさんで」を使われる患者さんは 背筋がピーンとしていて,しっかりされてて、とにかく元気なんです。
患者A  ありがとうございます。いや、お世辞でもなんでもなくて、 今こうしてお食事がおいしい のも、 一人でなんでもできるのも「おかげさん」でなんですよ。感謝しちょります。
医師私  他の患者さんもありがたいことに…おかげさんで…をおっしゃる患者さんは本当に元気なんです。何か関係ある気がしてなりません。
患者A  つくづく生かされていると感じます。
医師私  本当に素晴らしいですね。ありがたいことに…おかげさんで…をおっしゃる ことがきっと生き生きできるんでしょうし、老化も防止するんでしょうね。 言霊のような気がしてなりません…

今日この独り言を拝見してくださっている皆さんは覚えておいででしょうか? 実は昔私が「ありがとう」は魔法の言葉という話をしたことがあります。まさに統計上嘘はないと感じました。心をそろえ、言葉をそろえれば身体が整うのであります。ただの長生きを私は望んでいませんし、きっと患者さんもそうだと思います。「元気に長生き」であります。

皆さんの参考になったかどうか? は甚だ疑問ですが、是非心に留めておいていただければ幸いです。 さあ今日はひな祭り…もうすぐ足早に春一番がやってきそうな今日この頃であります。

平成23年3月3日

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<院長の独り言 パート95>
『だらしなさの不幸だらけの勲章』

さてさて前回は『あけましておめでとうございます。10年目のさいきじんクリニック. 』についてお送りしました。 今回は『だらしなさの不幸 だらけの勲章』についてお話したいと思っています。

今回は何か本の題名みたいですが、なぜこんなものにしてみたか? 1年を振り返る。自分が苦手なものって何だ? 逆にどんな事がみんなに嫌われているのか? ふと最近あった出来事を見返すと… 人は基本的に「だらしない」ものが嫌なのであります。

どんなに仲のよい親友でも彼女でも、ちょっとした失敗などは可愛いもんです。しかし「だらしない」はいただけないのだと思います。人間は、だらけることはあります。常に全力疾走なんてできるならしたいけれど。けしてできないことだから…だからだらけることはあると思います。しかしこの「だらけ」は本来可逆的(=元に戻るもの)なのであります。そして最も大事なのは自分の事を大事にしていないわけではありません。しかし一方、「だらしない」はどうか?ふしだら=だらしのないこと、節度、しまりがないと広辞苑には書いてあります。

だらしないのは 自分を大事にしていないことが見受けられます 衛生面、精神面、身体の面、いずれのどこかに不潔な感覚があります。たとえば木漏れ日のおちる春の日…ぽかぽかとした天気に縁側で寝てました。ついつい寝過ごしています…これは前者の「だらけ」です。 衛生面では 自分の家でゴミをゴミ箱に捨てない。 →不衛生な場所で過ごしている。→健康面を損なう 。精神面では 約束の時間にいつも間に合わない(遅れるのが当たり前になっている)。 →信頼度が低下する→信用されないし、その発言に気を配ってもらえなくなる。身体面では 雰囲気に負けて男に簡単引っかかる女性(別れたばかりで淋しい、酔うと人恋しいくて) →身体的にふしだらと思われる。いずれも衛生面、精神面、肉体的に自分を大事にしていない…。 私の言うふしだらはまさにこれなのです。

自分を大事にしていない人を好きになることができるだろうか? 答えはまずはNOだ。 今までも自分を大事にしない人は100年の恋もいっぺんに冷めるかのごとく、すーと引きたくなる。 だから、だらけとは雲泥の差なのである。

何度も言うが、「だらけ」はどんな人にもありうる状態で ただし変わりたい意思が見えれば手伝いたいと思う。皆様もだらけとだらしないの違いを考えてみてくださいませ。

多くの方がきっと賛同してくださるのではないかと思う今日この頃であります。

平成23年2月2日

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<院長の独り言 パート94>
『あけましておめでとうございます。10年目のさいきじんクリニック.』

さてさて前回は『ホリスティック醫學とは? 物申す』についてお送りしました。 今回は『あけましておめでとうございます。10年目のさいきじんクリニック.』についてお話したいと思っています。

実は考えてみればもう10年目なんだ。そう考えればよく続いているなあ…この独り言…そう思います。一言で10年でありますが、本当にいろんなことがありました。悲しいこともいいことも…本当にいろいろあったものです。まずは皆様「明けましておめでとうございます」そして先日の12/19クリスマス会も無事盛況に終わり、約250名の方の参加がありました。この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

私、今年もまたこのクリニックに正月からせっせとお仕事なのです。ですが最も集中できるのが盆と正月… 透析のみに集中できるし、来客は来ないし…この時期にいっぱいできることをする…雑念なく仕事のできる実はとても貴重でいい時期でもあります。

さあ今年我々、10年目を迎えることになリます。10年は一つの節目。10年続いたことに感謝なのです。 そこでパーティーをやろうと思っております。 福山市船町のケイエースビル(旧東邦生命ビルと言ったそうです)にさいきクリニックとしてビル診で開業いたしました。スタッフ13名で今10年を経てそのうち3名のみが残っています。一人は浜岡事務長、あの頃は事務がわかっていなくて随分しぼられていたイメージですが、しっかりとこの10年で成長したんだと思います。

もう一人は宮田技士長。あの頃は人の機微もわからず学問を行う感じでした。少しは人の機微がわかって きたんではないか? と感じています。10年目になって我々は何が変わったのでしょう? それは周りの皆様が判断してくださることと思います。振り返るといろんな人に心配や不安ばかり与えてきた気が します。余裕もなくていっぱいいっぱいで…多くのスタッフが去っていくのを淋しく感じ、憤りでのり超えようとしていたあの頃…今も心は熱いけれど、憤りではない自然態に切り換える方向になりました。そしてこの10年で辞めると言っている人をとめる事はとても難しいと悟りました。

とある有名な人が言っています。恐怖に打ち勝つには「憤るか」OR「逃げるか」だと… 多くの優秀なスタッフが去ることで、クリニック運営が厳しくなるにつれ、患者さんにも不安/悲しみを与えてしまった…そして大丈夫かという不安、恐怖、悲哀といった複雑でネガティブ感情に潰され そうになる… しかし最後まで見捨てなかった部下が二人も私にはいてくれました。そして何よりも多くの不満や不平も頂きましたが、最後まで見捨てずにいて頂けたのは患者さん達でした。本当にありがたい。なのに患者さんに悲しい思いをさせてしまいました。 先日医師の会に参加しました。どの医療施設も看護師さんが転々とすると嘆いておられます。 そして最近は患者さんも昔のように「施設に問題があって辞める」と一方的に考えていないようです。 むしろ問題は辞めていく人に向けられるケースが増えてきています。 そろそろ見直しの時期ではないでしょうか? 今の私はこの10年は勉強の10年と思っています。今後の10年は強い組織作りをするんだと思っているのです。

平成23年1月2日

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