院長の独り言【2012年 平成24年】

<院長の独り言 パート117>
『またクリスマスがやってきます。この一年何をしてきたのか? 復習する』

さて前回は『愛と憎しみ〜対極におかれるもの〜』
についてお送りしました。
今回は『またクリスマスがやってきます。この一年何をしてきたのか? 復習する』についてお話したいと思っています。

さて今回はクリスマスとこの一年を振り返ります。この独り言で今回は一年を振り返ります。

I'm dreaming of a White Christmas. Just like the ones I used to know
Where the treetops glisten and children listen to hear sleigh bells in the snow

私はホワイト・クリスマスを夢見ています。 
それは私がむかし経験したような樹冠が、きらきら輝いて子供たちが耳を澄ませて そりの鈴の音を聞く雪の世界。

まずはロマンティックなホワイトクリスマスから始まりました。毎年私は雪が降るといいなあ…と
願っています。

それは遠い遠い話。京都に住んでいる頃から思っていました。
今年も雪を願いながら…きっとクリスマスをどう過ごしているのでしょうか?

実は今は9月末です。今起こっているの民主党の総裁に野田総理が再選したところ,気温が急激にここ2-3日で低下していることです。そして今度は自民党の総裁選が行われようとしています。

さいきじんクリニックは1月に オーバーナイト透析を始めました。これはECO医療の一環として患者さんの長生きを目指して始めました。そして 5月から血液クレンジング療法を始めました。代替補完医療であり説明会を行い、そのうえで受けたい人のみ受けていただくシステムです。多くの患者さんが血圧が下がり血糖が下がり薬やインスリンを減らすことができました。次に10月から室内ラドン療法ホルミシスルーム開設。続いて11月中旬にはナノバブル足湯施設(仮称:パンドラの靴)ができる予定です。

この一年はむしろ医療情勢も加味しながら,根幹的医療にできうる限り終始した一年と思われます。来年は少し現状を見据えて、当然エコサンタ医療は今までどおり推進してまいりますが,苦手な在宅医療
に力を少しずつ注いでいこうと思っております。

私がこれから医療に貢献できることは、大してないかもしれません。また残された時間も短いと思っています。あと15年来でできることをやっていく。信じることをやって行きたいと思っています。
そして…あと10年で東北は復興するでしょうか? またその備えは? いろんなことを考えないといけません。

今、我々が悩んでいることは復興を目指している東北の方々と比較してどんなものなのか? それを知るいい一年でもありました。私たちはいつも被災者さんから教わってばかり…与えられるばかりです。少しずつご恩返しをまずこの5年やって行きたいと思っています。

皆様、メリークリスマス。そしてよいお年を…

平成24年12月1日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート116>
『愛と憎しみ 〜対極におかれるもの〜』  

さて前回は『東北支援への第一歩 〜我々が見聞きして知りえた町「南三陸町」〜』についてお送りしました。 今回は『愛と憎しみ 〜対極におかれるもの〜』についてお話したいと思っています。

さて今回は愛と憎しみについてです。

この独り言でこのような話題は、時に取り上げてきました。 愛から生まれるものは何でしょう? 憎しみから生まれるものは何でしょう? 最近、私の友人、知り合いの多くはこの簡単そうで難しい問題によく直面しています。 特に回りは30~50歳の人生でいうと油が乗っているお年頃の方たちです。 私が正解を言えるとは限りません。しかしあえて今考える私の考えならいえます。

「愛」から連想されるもの。まずは「与えるもの」そして「受けるもの」強くなること 信じること、大きなもの、包むもの。逆に憎しみからは「受けるもの=与えるものではありません」まずは求め続けている=渇望状態。不信感、弱さ、(世界に)閉じこもること、不愉快な思い。

馬鹿のように人を信じすぎる人がいます。信じることから始まる人と、疑いの方から始まる人といます。 多くの人との触れ合いで最初に不信感から入る人がいます。とても気の毒な気がします。ここであえて言うなら、疑うよりも信じるほうのエネルギーははるかに強い。

そして私の最後の結論として信じるということについて書きます。正しいから、いいからそれを選ぶのではない 。信じれるから、信頼できるから選ぶのだ 【 だから信頼されるように動け】いいかたを変えると選ばれないのは信頼を得てないのだ。そういう自分に原因があるのだ。信じることとは相手を選ぶことでもあります。そして信じられるということは選ばれることです。人は無意識に正邪で物を測らず信じるものに惹かれるものです。

皆さんはどうお考えでしょうか?

平成24年11月1日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート115>
『東北支援への第一歩 〜我々が見聞きして知りえた町「南三陸町」〜』   

さて前回は『お金で何が買えるのか? そして何が得られるのか?』
についてお送りしました。今回は『東北支援への第一歩 〜我々が見聞きして知りえた町「南三陸町」〜』についてお話したいと思っています。

さて今日は南三陸町へ行ってきて感じたことをお話し致します。まず反省点南三陸町があの若い女性が流されるまでずっと防災庁舎でアナウンスをし続けたところと知りませんでした。

私は夕方に南三陸町へ着きましたが、すぐにあの建物がテレビで何度も流れていた象徴的な建物であると感じました。ここは小さな町でした。でも繁華街もありました。今では仮設住宅で「南三陸さんさん商店街」がひっそりとありました。

南三陸町を訪ねて 南三陸町を訪ねて

前年度、私たちは気仙沼、石巻と行きました。今回は南三陸町…あの時より復興しているか? あまりすすんでいない気がする。なにも建物はない。ただあの時の腐敗臭はなくなっていました。

南三陸町での東北支援活動

私たちさいきじんクリニックはこの度HUMAN NOTESさんと佐渡裕さんとSUPERKIDSさんのコンサートのスポンサーになって寄付をしました。と同時に南三陸町の方々の思いに触れたいと思いましたし、何かお役に立ちたいと思って…ストレス度チェックとカウンセリングをしました。
全ての人々がこちらでは見ないようなストレス度を抱えていました(こちらの約5倍程度)。ですが、皆がストレスは「そうないと思う」と答えてました。

カウンセリングを行って感じたこと

  1. はけ口をいう場所がない 皆、仮説住宅の狭い中にいてまた回りの方たちもストレスを抱えている。
    そのためにはけ口として言う場所がない
  2. 最も印象的なのは
    今でも、波の音がする、津波の音がする。その度に手のしびれもある。
    少しは音が小さくなったが、波の音がするはずもないところで確実に聞こえた波の音…
    自分は頭がおかしいのではと思った。

そんな話ばかりです。PTSD心的障害がずっしりとのしかかっているようです。
これは南三陸だけではないと思うのです。地震から1年半以上が過ぎました。もうこれを風化させていいのでしょうか? いいはずはありません。私たちの代わりに東北の震災者さん達は立ち向かってくださっています。何かはできるはずです。他人事ではありません。明日はわが身かもしれません。

素晴らしき日本、美しい国日本以前の総理大臣が言ってました。
その礎はきっと東北の皆さんが見せてくださっているものだと思います。
私たちで小さなことから復興を支え続ける…それこそが美しい日本の原点ではないでしょうか?

皆さんはどう思われますか??

平成24年10月1日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート114>
『お金で何が買えるのか? そして何が得られるのか?』   

さて前回は『歳をとることと歳を重ねること、 エイジングはごく当たり前??』についてお送りしました。
今回は『お金で何が買えるのか?そして何が得られるのか?』についてお話したいと思っています。

さて今日はいささか偏った話になるかもしれません。私も好きですが、皆さんも好きであろう「お金」についての価値を考えたいと思います。

そこで登場するのは、通称 マダム・ポーさん。正式にはマダム・グレース・ポーさんです。
日本に生まれ高校生より米国で学び、華僑の男性と結婚。資産家になってお金についての評論家。
日本人が自立できていない原因の一つに、貯金などでお金を眠らせることをあげておられます。
有名な言葉にお金で「家」は買えるけれど「家庭」は買えない。お金で「時計」は買えるけれど、「時間」は買えない。お金で「ベッド」は買えるけれど、「快適な睡眠」は買えない。お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。お金で「地位」は買えるけれど、「尊敬」は買えない。お金で「血」は買えるけれど、「命 」は買えない。お金で「Sex」は買えるけれど、「愛」は買えない。
真の豊かさとは、お金ではない。があります。

私のこの評価ですが、ほとんどは正しいと思っています。しかし、しかし私は自身が医師であるのもありますが…お金で「名医」は買えるけれど、「健康」は買えない。ここにはすごく疑問を持ちました。

今日は少し批判的な感じで申し訳ないですが、名医がお金で買えるとありますが、そう…ここだけが人なんです。だから、マダム・ポーさん、とてもお偉い先生ですが、非常に不自然に感じました。

物と違って人はお金では買うことはできません。いや、性格には人の心が買えないと申す方がいいのでしょう。私も医師の端くれ… 人として、男性として、医師としての心までお金で買われたことは一度もありません。またそんな医師であれば、あまりにも一般の人たちに医師に対しての残念な思いを植え付けてしまいます。
マダム・ポーさんの言うように、本当に真の豊かさはお金ではないと思っています。心が豊かであることであります。
だからこそ、この一文にとても引っかかるものを感じました。
きっと私も歳を重ねて、こんなことも思えるようになった…と自分が一番信じられませんが…

皆さんはどう思われますか??

平成24年9月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート113>
『歳をとることと 歳を重ねること、エイジングはごく当たり前??』

さて前回は『伝統を守るためには、革命か?保守か?』についてお送りしました。
今回は『歳をとること と 歳を重ねること、 エイジングはごく当たり前??』についてお話したいと思っています。

 さて、最近 アンチエイジング という言葉が 矢継ぎ早に使われております。ゴロもいい。感じもいいこの言葉…さてアンチエイジングとはそもそもなんでしょう???

 アンチ=反 エイジング=加齢ということですから、加齢を抑制する、つまり若くいること、若さを保つことになります。
さてここで問題です。若さとはいかなるものでしょう。
見かけが若いこと??? 精神的に幼いこと??? 実はこれは、いろんな解釈があるんだと思います。
多くはきっと若く他人の目に映ることと解釈されている気が致します。

 そこには今の多くの女性の願い…(若くありたい。年をとりたくない。肌がすべすべでいたい。 などなど)今の現代、若くいるために皆さん必死であります。そして実際に若く見える方も多いですね。
極端な言い方をすると、アンチエイジングという宣伝文句で売り上げが倍増になったり、お肌を若々しくする。髪型で若くなった… この健康食品を飲んでると、こんなに若くいれます… と芸能人がでてきたり…一部、アンチエイジングを商売に使っているという向きもあるのだと思います。

 さて今日はそれがいいのか? の議論ではなくて(私は若くいることは別に悪いことではないと思いますし、ごく自然の考えと思っていましたから…) そんな考えを「本当にそうですか???」と考えさせられるような、そして180度考えを見直すきっかけになったインタビューを、ついせんだって見てしまいました。 それは樹木希林さんのインタビューでした。
樹木希林さん がつい先だって「わが母の記」という映画をされていました。この映画では認知症の老人をみごとに演じておられるわけですが、その映画公開の前にインタビューを受けておられました。その時の事に少し今日は触れてみたいと思います。

インタビューアー:樹木希林さん、このたびの映画の成功おめでとうございます。まずはかなり評価が高い映画に仕上がっておりますが、今回の役どころは認知症の老人ですが難しいと感じた点はございますか?

樹木希林さん:いやあ、別段難しいと感じたりはしませんでしたね。私自身は楽しんでやっておりました

インタビューアー : 楽しんでやるとはどういうことでしょうか?

樹木希林さん:本来、人は年を取っていくものなんです。しわが増えるのも当然ですし、ごく自然に当たり前のことが当たり前に起こっているだけのことなんです。

インタビューアー:多くの人が年をとることや、認知症になることはあまり喜ばないと思っていると思うんですが…

樹木希林さん:そうですね。しかし、私はね。案外歳をとるのが嫌じゃないんですね。さっきも言いましたが本当に当たり前のことじゃないですか。歳をとってシワができることも、目が見えにくくなることも、耳が遠くなるのも楽しみたいんです。
きっと認知症にだって大きな意味があってなるんだと思います。

インタビューアー:なるほど。年齢を楽しむ… 素晴らしいですね。ありがとうございました。

さて、歳をとるというのは、単に歳をとっているだけ… シワを増やすことも、記憶が曖昧になることも、耳が遠くなることも…実は意味のある行為かもしれないと思わされるインタビューでした。そしてそれこそが歳を重ねるということではないのか? と私は自問自答しました。
 アンチエイジングとは、心もカラダも社会的にも若くありたいと強く願うことで、みかけが若く見えることではない。
その結果若く見られたらそれはそれでいい…
 ここで申したいのは、歳をとることを「罪悪」的に捉えないでいけたら素敵だな… と思うことであります。歳をとるのはごく自然の成り行きで、若く見えるから美しいのではない。 しわだらけでも美しさはあるのです。そしてきっと歳は重ねていくもので、顔のしわと同様に心のしわが増えることなんだと思う私です。

皆さんはどう思われますか??

平成24年8月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート112>
『伝統を守るためには、革命か? 保守か?』

さて前回は『企業の究極の目的は何か? 真剣に考えてみる ~さいき個人の私見です~』についてお送りしました。

今回は『伝統を守るためには、革命か? 保守か?』についてお話したいと思っています。

 日本は伝統的な工芸、民芸など とても素晴らしいものがいっぱいあふれています。いわゆる職人の仕事はとても素晴らしいものです。今ではそれを引き継いでくれる人も少なくなっています。では、伝統を守るにはどうすればいいのでしょう… 

先日、TVを見ていてすごく考えさせられたので今回取り上げてみました。
物事が安定的になると、安定的で喜ばしいこともありますが、変化がないため惰性で進む可能性もあります。たとえば、ルイビトンが同じ模様のおんなじデザインだけで販売していてもきっと売れないのだと思います。その時代にあったデザインやカラー、その上に革命的なものがあると尚いいのであります。

さて伝統とはどんなものでしょう。職人さんの作り出す伝統は ある意味(1)頑固なものであり(2)誇りであります。その分変化しずらいものでもあります。職人の仕事は1日、2日すればできるものではありません。長い年月の辛抱と根気がベースにあってこだわり続ける強い精神力が必要であります。

さてこの「こだわり」は言い換えると 「頑固、頑強」なものであるはずです。つまり変化しずらいものであります。革命とは反対の位置にあるのであります。
今までの古い変わってはいけない伝統を残しつつ、そのままでなく一部変化させ革命させる…それが古い伝統プラス 新しい息吹となって 新しい伝統に変わるのだと思います。

より革新的なことを行うことで古い伝統はいい形で進化します。
これは、長い年月ただひたすら流れる「川の流れ」と同じ感じがしています。
緩やかで、やさしく流れる川はその地形をすぐには変えませんが、ゆっくりと侵食し少しずつ形が変わっていきます。こだわり過ぎない心、しかし変えてはいけない伝統とこだわりは絶対捨てない頑固な気持ちのミックスこそが、新しき伝統を生み出すのだと信じています。

日本は素晴らしい国です。伝統大き国です。そして少なくはなりましたが、職人頑固おやじがいっぱいいます。日本の外交も愛情を持って頑固にやって欲しいものです。
伝統文化を守るように、日本国も守れればいいなあ…とツイッターのつぶやきの如くつぶやいてみる私です。

皆様は伝統や革命をどう考えられますか??? 

平成24年7月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート111>
『企業の究極の目的は何か?真剣に考えてみる ~さいき個人の私見です~』

さて前回は『心の処方箋 ~心の建て直しその名言を今日はお伝えしましょう~』についてお送りしました。
今回は『 企業の究極の目的は何か?真剣に考えてみる ~個人の私見でありますが~ 』についてお話したいと思っています。

「企業の目的」について今回は考えてみたいと思っています。
皆さんはどうお考えでしょうか? 本当にこの考えにはいろんな考え方があると思うのです。 そして何が正解か? さえもはっきりいって難しいと思っています。

1:まずは利益をあげるのが企業の目的(利益至上主義)とする 以前からの根強い考え

まずは「利益至上主義」とは?何か… それについて少し説明をします。
資本主義経済の基本原理は、利益の追求にあります。これは資本主義経済にとっては当たり前のことであり、資本主義を採用する国家においては利益追求こそ経済活動上最も重要視すべきことと考えるのはごく自然なことなのです。日本も当然ながら資本主義、民主主義国家ですので、例外ではありません。
しかし、「何にしても、まず利益追求ありき」では、社会や国民に対し不当に損害を与えるような不適切な利益追求行為を誘発しやすく、また健全かつ公正な経済競争が破綻することになりかねません。これが最も懸念される問題です。
営利企業は営利を目的(つまり利益追求が目的)として設立された経済上の主体だからこれが当然であり、こと株式会社の場合においては株主の利益を確保しなくてはならず、より一層の利益追求が求められるのであります。つまり簡単に申しますと、
1、株主の投資を受ける → 株式会社が造られ運用される 
2、株主の利益を確保得ねばならない(株主は投資して儲けを得ようと投資しているのだから…)
というような図式になるわけです。

2:まずは利益をあげるのが企業の目的のひとつとする 中間的な考え
●会社の目的(の一つ)は利益
まず、経営の目標の一つが利益であることは疑いがない。利益だけが目的ではもちろん無いが、大きな目標の一つではあるはずです。少なくとも、利益が無ければ事業が推進できないし、そういう会社は、究極、社会的な意義が無いとも言えます。社員が給料に見合う働きをしていない、つまり、それだけの価値を出せていないということだからであります。
利益は当たり前ですが、利益=売上-費用であります. 
だから、利益法則
(1)費用を一定で売上を上げる  利益法則
(2)売上を一定にして、費用を下げる
の2つしかない。
実は、経営戦略の本質はこれだけであります。
つまり簡単に申しますと
1、株主の投資を受ける → 株式会社が造られ運用される 
2、株主の利益を確保得ねばならない(株主は投資して儲けを得ようと投資しているのだから…)
3、利益は 売上げをあげるか? 費用を下げるか? ででてきますが、目的のひとつで重要です。
というような図式になるわけです。

きっとこの考えが現代では多いと思います。

3:企業の目的は 唯一「顧客の創造である」そしてそれにはマーケティングとイノベーションが必要である。

有名なドラッガーの言葉であります。またマネージメント研究の第一人者フィリップ・コトラー氏もマーケティングの目的は大きな価値を約束し引きつけ、すでに取引のある顧客を満足させてつなぎ留めておくことである。と同じようなことを言っております。

私どもさいきじんクリニック.はきれいごとばかりを言うつもりはありませんが、やはりこの道「顧客の創造を目指したい」と思います。
従来の 会社=営利組織 では 商品を売ること、すなわち儲けることが正義となる→利益で人が動く、我らの事業は何か? が見えないことになります。
しかし顧客の創造はニーズを考えることつまり、すでにあるもののニーズを満たすあるいはニーズを生み出すことで満足を与え続けることであります。
そしてマーケティングは販売をすることでなく、顧客のニーズを知り事業を通して満足を提供すること。またイノベーションとは、新しい見方、考え方で資源を活用してより大きな価値を生むことであります。
そしてその中でドラッガーが言っている言葉があります。もっとも潜在能力が高く、企業の最大の資産は「人」である。
その人に①チャレンジ性がある ②成果にフィードバックがある ③継続的に成長できる 仕事環境を提供することが重要であると… 
したがって,我々がそれを目指すには、同じ船に乗ってくれる「仲間=職員」の教育に心血を注ぎこむことに始まり、やる気をあげること(モチベーション)をアップさせることであると思います。
最近、すごく企業の考えについて疑問を持ち始めました。

売れている会社がいいわけではありません。利益があがっているからいいのでもありません。あくまでも顧客と対等な目線であり続け(ついつい誇大な態度をとってしまう会社も多いものですが…)ようと願う会社が長く細く愛されると信じています。

少し話が変わりますが、私の大好きなTULIPやOFF COURSEなどは昭和60年代に誰からも大きな評価を受けずいつか自然に細々と消える可能性があると思われてました。大きなヒットにもそんなに恵まれていませんでしたが、今はとても認知され今も残っているバンドがTULIPであります。そして小田和正であります。細々と愛されることほどいいことはない気がします。

さて本題に戻して…
今回の件については多くの意見があることと思います。10人いれば10人の…100人いれば100人の意見がある…
我々は綺麗ごというのではない…とお叱りを受けるかもしれませんが、どんな状況に至ってもこの点において私が変わる事はさいきじんクリニック.の終焉を迎えることと信じています。

つまり、ピンチを迎えても笑って変えてはいけない真実を変えずにいきたいものです。
きっと我々の顧客が知らないから、このような動きをする… などというのであればいけないのでしょう。
顧客のニーズに必ず添って(つまりは評価されるに越したことはないが、評価されなくてもニーズには応えないといけない)いることが最も重要な気がします。

これからも患者様と共にいれますように…

平成24年6月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート110>
『心の処方箋 ~心の建て直し その名言を今日はお伝えしましょう~』

さて前回は『さくら あぁ、日本人であるが故のさくらトリビアについて…』についてお送りしました。
今回は『心の処方箋 ~心の建て直し その名言を今日はお伝えしましょう~ 』についてお話したいと思っています。

皆さん、案外4月、5月は 桜の季節、新学期、新たにことが始まる。そんないいイメージはありませんか?
確かに「季節的うつ病」という言葉もありますように10~12月に始まり3月には治まる… そんなうつ病もありますが春に落ち込む人が多いのも(転勤や転職など環境の変化で多い)よく言われることです。

実は私にもそんな年もあります。今日は、心の処方箋になれば…と偉人たちの言葉を少しご紹介します。

1、絶望的に思うとき

絶望的な状況というものはない。人が状況に対して絶望的になるだけだ(クレア B ルース)
私はどんな生涯にも屈しはしない。いかなる障害も私の中に強い決意を生み出すまでだ(レオナルド ダ ヴィンチ)
諦めなどという言葉は私の辞書にはない(ナイチンゲール)
希望は人を成功に導く信仰である。希望がなければ何事も成就するものではない(ヘレンケラー)
世界は苦難に満ちている。またそれを乗り越えることにも満ちている(ヘレンケラー)
全てが失われようとも,まだ未来が残っている(クリスチャン ネステル ボヴィー)
危険が身に迫った時、逃げ出すようでは駄目だ。かえって危険が二倍になる。
決然として立ち向かえば危険は半分になる。何事にあっても消して逃げるな(チャーチル首相)
忍耐がどんな難問にも解決策になる(吉田茂 首相)
忍耐とは無抵抗にあきらめることでも、恐れて行動しないことでもありません。
忍耐とは、積極的に待って耐え忍ぶことです。(ディーダー F ウークトドルフ) 
私は絶えず喜びを求めながら生きている。そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない(本田宗一郎)
好き嫌いっていうやつは信用していないです。やっていたら好きになるんじゃないですか? (ユニクロ社長 柳井正)
障害を避ければストレスは減るが、自分が生まれ変われるチャンスを逃す(三科公孝)
夢は逃げない。 逃げるのはいつも自分だ(高橋歩)
不自由を常と思えば不足なし.心に望おこらば困窮したる時を思うべし.堪忍は無事長久の基(徳川家康)
解決策がわからないのではない。問題自体がわかっていないのだ(ギルバート ケイス チェスタトン)
真実でさえ、時と方法を選ばずに用いられてよいということはない (モンテーニュ)

2、そして成功するために夢に向かうときに。そして行動できない人のために…

成功者とはどんな不幸にも屈せず、逆境を有利な状況へ転化する術を心得ている(トーマス エジソン)
成功するところまで続ければ、それは成功になる(松下幸之助)
伸びるときは必ず抵抗がある(本田宗一郎)
知恵は知識に勝る(パスカル)
心を込めて仕事をしなさい。そうすればあなたは必ず成功する。なぜならそういう人はほとんどいないからである(エルバート ハバード)
人が旅をするのは到着するためでなく 旅をするためである(ゲーテ)
確信を持つこと、いや確信を持っているかのごとく行動せよ(ゴッホ)
不決断こそ、最大の害悪(デカルト)
勇断なき人はことを為すこと能はず(島津斉彬)
戦いは考えすぎては勝機を逸する。たとえ草履と下駄をちぐはぐに履いてでもすぐに駆け出すほどの決断。それが大切だ(黒田如水)
人生の大きな最終目標は知識ではなく、行動である(ハックスリー)

最後に…

今日ここにご紹介したことは、本当に私どもが常々思って共感できること… もしくはまだまだ自身で足りていないことなどをあげました。 本当に役に立つことが多く出ています。
最終的には、絶望から立ち直り希望にあふれるとき…成功するためには行動しかない…全て自分が決めているということでしょう…
私もそう思います。他人が決めていると思う人生なら…{何かのせいで今不幸になっていると思うのは、幸せになれない一歩である}と私は思います。

きっと皆様の励みになることを祈りながら…

平成24年5月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート109>
『さくら あぁ、日本人であるが故のさくらトリビアについて…』

さて前回は『説明と同意(インフォームドコンセント)における勘違い..。これはイタダケナイ』についてお送りしました。
今回は『さ く ら あぁ、日本人であるが故のさくらトリビアについて… 』についてお話したいと思っています。

皆さん、この時期に桜の花見があります。桜は地方によって異なりますが約1週間前後咲き誇るけれども、たった1週間しかチャンスがありません。

まずは日本の桜の8割を占めるといわれる、ソメイヨシノについてであります。
ソメイヨシノは「染井吉野」と書き、「染井」と「吉野」というふたつの地名から成っています。吉野は奈良県吉野山であり、染井は今の東京都豊島区駒込。染井は江戸時代に栄えた園芸の村であり、ある時、そこの業者が永年の丹精の末に一重桜の新種を生み出し、売り出すにあたり、その業者は工夫した。その桜がソメイヨシノであり、桜といえば当事は吉野山だったのを利用して、あえて新種とせずに「吉野の桜」としたのであります。つまり販売戦略が絡んでいて、その狙いは見事に的中し、「吉野の桜が江戸で見られる」と、大いに売れたようです。

つまり、ソメイヨシノとは「吉野山の名前を借りた染井の桜」であります。しかしその桜はいかにも縁起がいいと思われていますが、江戸時代は縁起の悪い花として考えられていました。
桜はすぐに散る…また散った花の色もすぐに変わる。あっという間に心変わりするという意味があるようです。

現代の結婚式で、お茶の代わりに桜湯が振る舞われる事が多いのは「お茶を濁す」「茶々を入れる」といった言葉から、お茶の方が避けられているからのようであります。

最後に医学的な話を一つ…
桜は人を狂わせるという言葉の通り、桜の花粉には興奮を誘発する「エフェドリン」という物質が含まれています。満開の桜の下、まじめな人が、いきなり脱いだり踊ったりするのはエフェドリンの作用かもしれないですね。他にも桜には
(1)二日酔いを緩和する効果があったり、
(2)また桜の甘い香りは不安感を取り除いて自信を回復する効果など
多くの効能があるのであります。

桜…実は今は日本人にとってとても象徴的な花でありますし、多くの桜にまつわる曲もあります。
なぜ多くの桜の歌が多いのでしょう。それはエフェドリンという興奮物質のおかげで興奮し、恋愛に落ちやすいのかもしれません。ただしあっという間に散らない恋愛であって欲しいですね。 おあとがよろしいようで…p(^-^)(^-^)(^-^)q

さあ皆さん春たけなわです。私は春をできれば故郷の京都で感じたいと思っていますが…果たしてかなうか否かです。

平成24年4月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート108>
『説明と同意(インフォームドコンセント)における勘違い…これはイタダケナイ』

さてさて前回は『おせっかい と協力の違い~そこに気がつかねばピエロになっちまう~』についてお送りしました。
今回は『説明と同意(インフォームドコンセント)における勘違い…これはイタダケナイ』についてお話したいと思っています。

つい数ヶ月前の話しであります。
とある病院の先生とお話しをしていました。具体的には当院との協力関係の話であります。

3年ほど前に当院に協力関係を申し出てくださいました。熱く語られ,この地区における腎臓病の必要性とこの地区に不足している腎臓の医療をすすめていくために…と語られました。私はお手伝いをする方向になり、また当院の患者様、スタッフも密接に関わる事になりました。

しかし昨年のとある時期にちょっとした事件が起きました。
当院にとってはおよそ受け入れがたい話しがあり、それをその病院には伝えました。しかし人事的なものでもあったので私も人事は口を挟まないように致しました。

つまり私はそのお話しを理解はしましたが、受け入れていません。=説明は受けたが同意していない状態でした。これは相手方が私に説明をしただけ…ということであります。あくまでも私に同意は得ていませんでした。しかしそれを強行的に行なわれ、また私たちの目につかないようにされておられました。

さて実はこんなことは医療の現場ではいっぱい起こっているのです。
医師はあるいは医療者は話しをしただけで「了解を得た」と思っているのです。
私は患者さんの立場に立っても、一人間としても 説明≠同意 と思っています。
説明とは話をすることで相手が理解したか? 納得して同意したかは関係ありません。
言い換えると、 同意は 納得して 理解することであります 
インフォームドコンセントは 「説明と同意」 といわれます。
説明をして同意を得るのが前提で どんなに面倒であっても そうしないと信頼関係は保持できません。
私も気づきました。もしかしたらそんなことがあるかもしれないので注意しようと…

皆さんはこのような経験はございませんか? どう思われましたでしょうか?
今回、私もいろいろ経験し、自分のふんどしを締めなおそうという気になりました。

さあもう目の前に春が来ますね。

平成24年3月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート107>
『おせっかいと協力の違い~そこに気がつかねばピエロになっちまう~』

さてさて前回は『自己防衛と悲劇の狭間で~たしかなこと~』についてお送りしました。
今回は『おせっかいと協力 の違い~そこに気がつかねばピエロになっちまうよ~』についてお話したいと思っています。

そういえば、2月の独り言は特にバレンタインデーにチョコをもらえなかった恨みぶし的な事を良く取り上げてましたね。
今回は最近経験したことから皆さんにそのまま感じてもらえたらいい事をここで2ケースお示ししたいと思います。

ケース1
もう随分昔のことになりますが、こんなことがありました. そして悩みましたが人生を振り返る意味で取り上げることにしました。
私の知る人の一人が、当院がいろんな意味で頼りなくみえたのでしょう。私達のクリニックを手伝うことにしてくれました。
そこまでは良かったのですが…

お互いの考え方の違いができたときに、少々意見がぶつかりました。そしてその方がこう言いました。
他人からこういわれているんだけどと話した内容であります…
「何もそんな遅くまで、そしてそんな遠くまで行く必要があるの? と言われてるけれど、ここに来ているんです。」
ここで心に火がつきました。
つまり言っていることを簡単に訳すと
「せっかく,私はあなたのためにいろいろ言われてるのにやっているんだから…」なのです。
私は、この言葉を聞いてもう手伝って欲しいと思う気がなくなりました。
そして言いたかったこと…自分を犠牲にしてまでここにくる必要はないと…いうことであります。
協力の意味は 協…小さい力が集まり、その力を+(たす)と 力…大きな力になる! です。
つまり協力ではなかった。と感じたのであります。
この時点で協力から、おせっかいと受け取るように変わりました。
確かに我々はまだまだ頼りないでしょう。人の安定もしていないし、組織も安定していません。
しかし10年間を曲がりなりにもやってきています。一緒に苦しんでやってくれた仲間がいます。
だから今があると思っています。一人の人がやれる力は毎日ここクリニックに来ている院長であり理事長である私であっても、とても小さいものです。ましてや外の人で、毎月定期的に来ていない人にきっかけは作れても大きく人を変えることができるとは思えないのであります。だからきっかけを望んでいたのではありますが、大変残念に感じたことでしたし、私はいろんなことがわかった気がしています。

ケース2
とある上司が部下のことを何でもしてしまう… そのために部下はおせっかいと感じてしまう…
そんなお話しです。

部下のAさんは 上司のBさんに 「今月までに企画をたてて一度相談して欲しい」 と頼まれました。
Aさんは一度企画を立てましたが、根拠に基づいてないので再度作り直しをしていました。
B上司は非常に神経質で、きっちりできているのか?とても不安でした。期日1週間前に声をかけAさん
から進行状況を聞いても不安で仕方がない。
自分でも企画立案するようになりました。そして毎日毎日進行具合を聞くようになりました。最終的に3日前に
まだ不十分であったため「実は俺もつくったんだ。これを使いなさい…毎日女房に「遅いな」…と嫌味を言われながら残って作った資料だから大事に使ってくれたまえと…部下Aさんにしてみれば大変残念でしょう。また嫌味を言われながら残ったことを後で言われて非常に自分のあずかり知らぬところで悪いことをしているみたいな気分になったことでしょう…
これは上司が期日も来ない時点で判断し、自分の企画さえ却下されたケースでした。

2つの事例には共通点があります。
不安があること
せっかくしてあげているのに…という思いがあること
皆さんならどう思いますか?

追伸:私の提出が遅く、今回大変遅くなってしまったことをお詫びいたします。
そこで早めですが、3月も一緒に今回載せることにしました

怒られながらやっているんだよ。せっかくやってあげてるのに…こんな思いを相手にさせていいと思いますか?
接遇の話しで以前学んだことがあります。
してもらっている…という負い目を感じさせるのは本当の医療や介護ではない。
させていただいている…という謙虚な思いこそが本当の医療や介護である。
まさしくこの話しに通ずるものがあるように思います。
皆さんはどう思われましたでしょうか? また皆様もそんな経験があるますか? 
人は完全でないためこういう失敗を私も含めて行なうものだと思っています。だから新年になってもう一度振り返り考えてみる… そんなひと時になればの思いでここにあげました。

平成24年2月2日

▲ページTOP

<院長の独り言 パート106>
『自己防衛と悲劇の狭間で ~たしかなこと~』

皆様、明けましておめでとうございます。おかげさまで11年目の新春を無事迎えることができました。
さてさて前回は『10年目のクリスマスシーズン到来 ~トリビア~』についてお送りしました。
今回は『自己防衛と悲劇の狭間で ~たしかなこと~』についてお話したいと思っています。

さいきじんクリニック.には 「人のせいにしない」という年頭の私の所信表明でお話した内容があります。
毎朝、みんなで朝礼にはお話をいたします。
しかしこれはなかなか難しいのであります。

ポジティブシンキングの中に自尊心があります.簡単に言うと自分を好きでいることであります。一方、これを保つためには自分をいつまでも好きでいたいがために、自己防衛に走り他人のせいにして自分を守る
自己防衛(私はこれは過剰な防衛と思っていますので過剰自己防衛と名付けます)

自尊心はとても尊いもので、ゆとりを持ち人に安らぎを与えるものであります。一方、過剰自己防衛はいっぱいいっぱいでせっつかれた状態を意味します。自分を好きでいること は 自分を守ることとは違うのです。

自分を守ることにのみ集中すると人を攻撃することがあります。それが過剰な自己防衛であります。
攻撃的なことはあまりよろしくないと思いますし、何よりも人が離れていきます。全ては自分に原因がある… さいきじんクリニック.の教えの一つです。

悲劇はこの二つの違いで起こるか起こらないか?だと思います。
是非、その行為は自己防衛なのか? 自尊心であるか? を確認してください。

ゆとりがあるのか? 確かめてください… 結果として多くの人が回りに集まっているか? を確かめてください。
そして私の最近お気に入りの曲 「家族になろうよ」の2番にある

明日の私はそれほど変われないとしても… 一歩ずつ与えられる人から与える人へ変わっていけたなら…

  今年のさいきじんクリニックはそんなクリニックになればいいなあ… と思っています。

人の集まる、ECOな与え続けるクリニック… それを意識しながら…自尊心を持ってLET`S GO

平成24年1月1日

▲ページTOP

院長の独り言
パート117
パート116
パート115
パート114
パート113
パート112
パート111
パート110
パート109
パート108
パート107
パート106

×このページを閉じる

©2014 Saiki kidny clinic Seto Fukuyama all rights reserved.