院長の独り言【2008年 平成20年】

<院長の独り言 パート69>
『5年目のクリスマス…もみの木が使われる理由』

またクリスマスの季節がやってきました。さいきクリニックから早や7年。さいきじんクリニック.から5年目のクリスマス。クリスマスのトリビア…

さいきじんクリニック.はこの度LEDの看板を上げることになりました。予定ではクリスマス会までに上がる予定です。そのときに意識したのは以前のコラムでも申し上げていますが、赤と緑の絶妙のバランスのいい色を基調に作ること。さてどうなることやら…

さてこの季節…クリスマスになるとどこの家庭でも、クリスマスツリーを飾りますよね。皆さんの家では、どんな木に飾りつけをしておられますか? その中でも「もみの木」は歌にもありますように有名です。最近では、簡単に組み立てられるクリスマスツリーセットが売られていますが、ドイツを中心としたヨーロッパでは、今でも もみの木がクリスマスツリーとして使われています。

トリビア1
もみの木が使われる理由には、二つの説があります。ひとつは…もみの木には幸福をもたらす小人が住むといわれ、小人が退屈しないように花やろうそくの明かりなどを飾り、その周りで踊って騒いだ。これがクリスマスツリーの始まりという説。

トリビア2
もうひとつは…宗教革命で知られるマルチン・ルターだという説。クリスマス・イブのミサを終えた夜、森で道に迷ったルターは、突然輝きをました星の光に導かれ、家にたどり着いたそう。彼は、それを神の導きととらえ、感謝と畏敬の念を抱きました。そして、この信じられないような体験を子供達に説明する際に、もみの木にキャンドルを灯して再現したということです。もみの木のクリスマスツリーにも、いろいろな由来がありますね。もっと他にも、由来の説はあるかもしれませんが…。

以前、ポインセチアは赤と緑を基調にクリスマスカラーとして説明した事があります。赤と緑は色として映えるので、クリスマスを世界にひろめるキリスト教の戦略とまで言われています。またサンタクロースはなぜ煙突から入ってくるのか?

トリビア3
昔から煙突はこの世とあの世の通り道といわれていて、魂の行き来があるといわれる…聖なる場所。サンタクロースは神の使い…したがって堂々と玄関から入ってくるのではなく、魂の行き来をしている場所で、人目に付かなくてこっそりとプレゼントをおいて帰るために煙突を利用しているのだそうです。

クリスマスの主役は実はあなたです。さあ楽しいクリスマスを是非お過ごしくださいね。 

平成20年12月2日

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<院長の独り言 パート68>
『誕生日の季節 —男40代我がままに…そうして生きてみる—』

さて今回は「誕生日の季節 わがまま、生きること」ついてです。そもそもわがままって何でしょう?  今振り返って、20代 めちゃくちゃしていた気がする。でも一生懸命だったかなあ…
30代 少し大人になった気がしていた。一方まだ子供と気づかされるし、そういたいと願っていた。
40代 わがままになりたいと思った。生きることに…過去から感じる事…本当に自分は生きてきたのか? 自問自答?

人間は自然の中に住んでいます…ではその大自然に感謝できるのか? 自然に対して感謝する ためには自然と向き合う=自然とコミュニケーションをとるという事をしなければなりません。自然を知らずに何を知る事ができましょうか?  自分たちが住んでいる場所は実はまるでマトリックスのような世界かもしれません。文明が発展し 夜でも眠りにつかない明かりのある世界。それを喜ぶかのごとく人は生きています。そうこの世界は 自然の対極に位置する世界です。自然とは空気、水、生き物にあふれています。目に見えない 力強さがあり、そこに文明がなくても癒される空間であります。

自然界は今日も当たり前のように動いています。可愛そうに見える食物連鎖、川は上流から下流へ 流れ、木々は光を受け二酸化炭素を酸素に変える(光合成)、潮は満ちては引いて、波はずっと歌を歌っています。私は、10月末遅めの夏休みを頂き、自転車一人旅を敢行しました。 なぜか? 今でも明確に答えることは出来ないかもしれません。一人でいる事が少ない仕事であるし、一人を楽しむと同時に多くの人に出会えたことなどを感謝したい思いを強くしたいのもあります。 一人で知らない町や人に出会い、出来る限り生きている間に多くのことを知りたい。40歳半ば、すごくいいものでお金では味わうことの出来ないものを手に入れた感じであります。

経営者はとかく孤独と立ち向かっている部分があります。言ってはいけないこと、辛抱をしています。孤独に強くなるために自分研きの旅の始まりです。皆さん応援してください。先日私は,「いいもの感覚」を磨くことをうちのスタッフに提案しました。全ての方に理解してもらえて いるか? はわかりませんが、最近「いいな」と思えるような音楽、映画、人に出会ったか? よく若い女性がいいます。「いい人に出会わない」と…そんな時本当ですか? と聞きたくなります。 いい人に出会わないのは他人のせいにしています。自分の感性がにごっている可能性も高いです。いいものにただ気づかないのかもしれませんよ。そのいいもの感覚を研くのにすごくいい旅でした。また行きます。乞うご期待です。

平成20年11月2日

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<院長の独り言 パート67>
『人間の器量』

さて今回は「人間の器量」ついてです。前回のフログを見て「ありゃあ」短いや…部下の一人に「先生、今回のは短いですね。ネガティブやし。」と…
「なぬ、ホンマ短いわ」 しかしネガティブではありませんぞ。それはどう心を持つか?の問いかけなんだぞ…前置きはこれくらいにして…

さて器量って何でしょう? うつわ(器)の量と書くので何となくわかると思いますが…最近「男の器量」という本に出会いました。この本は是非男性には読んでもらいたい本です。 私はどうせなら器量のある男でありたいし、器に興味もあり本屋でごく自然に手が伸びてしまいました。 この本からいくつかを抜粋して今日は独り言にしたいと思っています。

広辞苑には器量は(「器」は材の在る所、「量」は徳のみつる所)であり、 その地位・役目にふさわしい才能や人柄(1)才能・力量の優れていること  (2)顔立ち、みめなど容姿の優れていることとあります。広辞苑からその中でもお金の使い方で大変共感が持てる点がありました。 お金の使い方次第で器量がわかる。100万円を使うときに単に大きいお金と感じるか? 否か?  お金がなくても欲しいものやってみたいものを基準に考える事が大切…であると… こう考えると私は多くのお金をばら撒く方なのかなあと思っています。人に浪費癖ともよく言われます。 本当に浪費癖なのかもしれない単なる浪費家でしょうか?(残念ながら他人の判断に委ねます)

言えることは、私のお金を使う基準は人のために使うことに置いていました。 若い頃からいつもそうでした。たとえば、自分の趣味は音楽を聴くことにあり、月の小遣い3000円 のうち500円(当時EP盤は500円。時代がわかりそうですが)を使い、後輩とよろずやみたいなとこでカップラーメン食べたり、パン食べたりなぜか自然にお金が出ていました。 人が喜ぶために使うお金は一向に惜しくないし、勝手に出て行くのです。もちろん自分がそう思えば という大前提がありますが…若い人にいつも言う事があります。女の人には上手に男の人から多くのお金を引き出せるように いや、気持ちよく出させる女が一流…と。もしケチるような事があればそれは自分に多くの原因があるのだ。

一方男性にも使うと決めたら迷うことなくお金を使え…といいます。 この本の中にも男性の真実が書いてありました。作者の川北義則さんは「割り勘はありえない」 と言い切っています。若いときからあらゆる面で女性をリードできる男になりたいと思ってきた。 だが若いときはお金がない。だから早くお金を稼ぎたい一念で頑張った。と…女と付き合うならお金は男が支払うのが当たり前…これが哲学のようです。 割り勘男が増えたら女のために頑張ろうという男性はいなくなり、日本がだめになると思って おられるようです。

実は私もそう思っています。私の哲学もそうです。これとよく似ているのが遊びのお金です。 遊びのお金は自分の懐から…そして高いと思っても遊びにけしてケチってはいけない。とも思っています。そういえば私も割り勘はしたことがありません。(もちろん団体で行くときにはありえますが、そんな時も出来る限り皆さんの負担を減らすように工夫します) たまにお金を忘れたとき、財布を忘れたときにはその場は払ってもらいますが、あとですぐに返します。自分のつかえるお金の半分、いや3/4を使っても惜しくないと思うなら迷わず使います。

皆さんには浪費家に見えるかもしれませんが、浪費をしている気持ちは実はこれっぽっちもありません。 人が喜ぶだろう…と自分自身が納得してお金を出している。あるいは自分に時間を提供してくれた事に感謝している。そのために流通している物品=お金としてしか認識してませんし捕らえていません。 また私は医師でありますが、医師はよく業者さんに驕ってもらう感じが一般的にあると思います。しかし 私はそれも嫌いでした。今でも私が業者さんに驕ることは一般的にあります。逆におごられるのは実は苦手です。何かそのお金のために恩という心を持っていかれそうな気がします。 しかしながら女性はおごられることになれて欲しい。もちろん誰かれなく驕られるのはどうか? と思いますが… こだわりをもっていっぱい驕られてください。人間のごく自然な営みの中に男性は女性にまた後輩・部下に 子供・家庭に貢ぐのが普通です。

女性諸君。お金を使い切れない男、割り勘を言いだす男、遊び金をケチる男はよく考えた方がいい…男性諸君。肝心なときは10万の給料なら出し惜しみせず5万は使えるように…なるといい。 5万を自分自身のみのために使うなんてお金が淋しがっているぞ…そして惜しみなく使える女の人がいたらその人は運命の人である可能性は高いし君は幸せなんだと思う。 惜しみなく使えることに感謝して欲しい。お金の方が大事だから使えないのは君たちの心の問題か? 女性に問題がある。もちろん相手が男であっても惜しみなく使える人がいればそれで幸せじゃないか? お金は1.多くの人のため 2.自分に時間を提供してくれた人のために自己の納得ができれば そしていっぱい使えば必ず回ってきて幸福を得られるのだと思います。 付け加えるのなら、いっぱい使わせてくれたことに感謝するのです。通常出しづらいお金をいっぱい使わ せてくれた事象や人に感謝しましょう。 また納得するのは人によって違うでしょうが私は比較的自分が持っているならいっぱいばら撒くのが好きです。 ですが使いたくないお金は一銭たりとも出したくないとも思う人です。 私はお金を使う天才になりたい。そう本気で思っているのです。

ある人が通帳を見て貯金がたまっているのをみて喜んでいました。それはみっともないと思います。 あまり幸せそうにはみえません。お金は使ってこそ力を発揮するんだと思います。最近の私は、大きく3つのことを心がけようと思っています。 目標設定をはっきり3つ定めて向かっています(まず一つ目だけ進行中ですが) 時間の使い方のプロになりたい(時間に操られない、時間を操る) お金の使い方のプロになりたい(お金に操られない) この3つです。

皆さんはどんなプランをお持ちでしょうか?

平成20年10月2日

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<院長の独り言 パート66>
『幸せの扉—嫌なこともいいことも—』

さて今回は「幸せの扉」ついてです。日ごろから皆探している究極のものといっても過言ではありません。 実は私、最近いいことないなあ…って思うことが多々ありました。うまくいかない新事業や友人の母親の死や部下の失恋やら…

色々悪いことばかり考えていました。 しかし一方よく動いていたのも事実です。そんな時こそ幸運の切符が舞い降りてきます。身体はしんどいけれど、悪いことばかり考えていた自分に環境を少し変えるだけで悪いことから楽しい 事が舞い降りてきました。環境から楽しい事が見つかるものです。普段しないことは皆さんもいっぱいあると思います。 そのしていない事をやってみればいいのです。私は一人で知らない土地を歩き回るなど、色んなことに 探究心旺盛であります。まるで子供の頃自転車に乗れるようになって行動範囲が拡がったときのように…だからできるだけやった事がないことをいっぱいしましょう。

結論から言うと幸せの扉は自分の心が誘うものではないか? と考えています。嫌な事があると人間は、特にまじめな人ほどどうしてもその事から離れる事ができません。 もともと人は真面目に考えることを嫌いではありません。全ての自称に遊び心を持ってみましょう。 そしていい事を考えるのも難しいので、いい方向へチェンジする方法に普段しないことを行う…そしてそれには環境を変える方法がいいのではないか? という案です。

大好きな私に関わる全ての人々に、幸が訪れる1つの参考になればと思います。

平成20年9月5日

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<院長の独り言 パート65>
『人生の基本に考えること—若さの象徴—』

さて今回は「人生の基本」ついてです。日ごろスタッフたちに伝えていることです。

この独り言では前回こだわりについて話しました。こだわりは極めて重要です。自分らしさにつながるもの だからです。 そして「わがまま」は好き嫌いでものを判断するといいました。今日のお話は少し似ているかもしれません。

多くの女性があるいは男性も「若くいたい」と努力しています。しかしいつしかよる年に呑み込まれて難しい 現状を知ることになります。 人間の構成は 1身体 2心 3環境です。 それぞれが年をとっていきます。しかしこの1〜3は全て関連があるのです。 身体をいい具合に保てば心も若々しくいれます。身体が若くても心が年をとっていれば老いていきます。 しかし再三この中でも申し上げてきましたが、今は見かけいわゆる身体のみを若々しく保ちたいという 方向です。

いくら外見が美しくても心が年老いていたら魅力は出ません。一方外見を保つことで心を 若々しくすることも出来るのもまた事実であります。

前置きが長くなりましたが、今回は人生の基本として物事を判断するときに「正しいか間違いか」 これを基準においている人が多い事に最近私は気づきました。 自分の選択が間違っていたらどうしよう? そうしたら不幸せになるのではないか? などとあるかどうか わからないことで不安を感じています。その時点で立派に私は不幸せだと思っています。 人は臆病なものです。しかし思い出してください。子供の頃を…正しい、間違いが基準でしたか? 子供の純粋な思いは「自分のしたい事」がはっきり見えています。 臆病になった「自分がしたいこと」ははっきりみえていますか?多くは他人の目から見てどう映るか?が 基準になっています。「正しいか間違いか」を基準においたとき人は動きを止めます。いやあ動けなくなるといった方が妥当 かもしれません。私はスタッフにいつも言っています。「正しい、間違いを基準におくな…そこに魂を込めて 一生懸命であれば何も言わない。叱ることもないぞ」と… 要は一生懸命であれば選択ミスはオーケーであります。 自分の子供がいて、受からないであろうと大方予想されている受験をしました。一生懸命頑張りました。 その子を叱りますか? こういうときの対処が最も大切です。 正しいか間違いか? より一生懸命魂を込めたか? がより重要なことなんです。

とかく人間は目に付くことをもって結果のみを見て判断します。我々は人間を成長させるという理念を もって医療に取り組んでいます。 時にはこの独り言も愚痴っぽくなっていました。今更ながら恥ずかしい思いであります。しかしながら それも私自身の…単なる成長の一過程に過ぎません。 立場や職種の関係上多くのことを求められる事が多くなってきました。私は風になってそれを受け止める 事に心がけています。

なかなか一生懸命持続していくことは難しいのですが、生きることとはそういうことではないかとつくづく 思う今日この頃であります。

平成20年8月1日

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<院長の独り言 パート64>
『仕事事情—恋愛影響—』

さて今回は仕事事情についてです。この独り言で取り上げてみるのにタイムリーかなあ、と考えてます。

最近話題になった話に、女の人が同じ職場の人と付き合うとどうなるか? という議題で 感情が入るからできないというのが圧倒的でした。また仕事への影響は? にも多大に影響すると思う。が多かった。

私はこのように考えています。 仕事は昭和始めから40年代にかけて男性がやるもので、女性は家庭で守る、育てるの時代でした。 男女平等がいわれてどんどん女の人が実社会に入ってきました。大変いいことと思います。しかし、一方不安があります。 女性の男性化、男性の女性化が起こっています。女性は男性的にならざるを得ないところにきています。 その最先端たるものとしての結果が、結婚願望を失う、少子高齢化の波に現れています。

「わがまま」と「こだわり」の違いはどこにあるのでしょう?  どちらも一見してやっかいなもののように思いますが、「わがまま」は結局は好き嫌いでものを判断しています。 「こだわり」は好き嫌いという感情ではなくて個性であります。いわゆるその人らしさとでも申し上げればいいの でしょうか?  

「わがまま」な人は人と接するのが上手ではありません。人に嫌われることを恐れています。人に嫌われない 努力が最優先であります。ですから自分の食べたいもの、飲みたいものもなかなか決めれません。好きな人に あわせることで好かれようと努力をしています。 好き嫌いが最初の根底にありますのでできれば嫌いな人に接触をしません。避けて通ろうとします。そうする事で 自分の居心地空間を保つのです。

「こだわり」の人は誰が何をしようと何を言おうと関係ありません。自分の意思決定がはっきりしています。 自分らしさが強烈です。他人に自分を動かすことは出来ないと思っています。 天地の理は、自然界と向き合わないと生きることを難しくします。 どんな環境にいても自然と向き合うことをせずに生きることは出来ません。 学校、住民との付き合い、職場など そこには必ず人が存在します。人との付き合いなしで一方的に好き嫌いを 決めてはじいていたのでは天地から見放されるのはきっと当たり前のことなのです。  今どこの会社でも医療機関でも3年以上働く人が少なくて困っています。そんな話ばかりを聞いています。 私は辞める人が悪いと思っていません。職場にも大きな問題がありますが、今はむしろ人の性別的なバランス 、人としての自然界でのバランスの崩れが原因となっている気がしてならないのです。 もっと根本的な考えを是非考えてみたいのです。

なぜ自分は生を与えられたのか? なぜ今も生きているのか? どうして学校や職場の人に出会ったのか? どうしてこの親から生まれたのか? なぜこの学校に入ったのか? この職業に就いたのか?  神様はいつも与えています。試練を…私たちを育てようと試しています。 その大きな山を越えようとしがみ付いてくる人間に対して、その先にある美しい風景と空気、何よりも充実感を与えようとしています。

しかし神様は超えられない試練は与えません。それを意識できるならばきっとあなたは試練を乗り越えるため に頑張ろうとするはずです。仕事事情は、今すごい変換期であります。きっと多くの方がいい環境とはいえないでしょう。どこに行っても そうたいして変わりはありません。 人間には2種類。男性と女性。各々が平等を旗印に変わってきました。一方日本人のヒューマニズムが なくなって、「こだわり」を捨て難しい頑固親父も減りました。日本人はグローバル社会になじんだ証拠ですが 日本人らしさがなくなれば全世界に対して日本人の価値は失います。

もう一度男性とは? 女性とは? を意識していきてみましょう。 私は以前もこのコラムで結論に職場恋愛はありと締めくくってきました。今もその気持ちに変わりはありません。 しかしその付き合いがゆえに個人的に好き嫌いが強くなり、仕事に支障をきたすのであればその付き合いは プラスの付き合いではなくマイナスの付き合いであります。 仕事はどんな職業でも好き嫌いでするものではないからです。嫌いな人とは仕事をしたくない… 個人的にはわかります。しかし大きな視野に立って見た場合それは間違いです。 嫌いなお客さんが来たら、そのお客さんには笑顔で対応できない…そんなウエイトレスがいたら…嫌いな職員がいたために、報告を怠って患者さんの治療が遅れた…こんな事が起っていいはずがありません。あなたの好き嫌いがお客様や患者さんに影響を多大に与えることを知る必要があります。

私は介護福祉士の学校に教員として教えに参ってました。 その際ですが数名の学生さん達は何のために学校に来ているのか? がずっとわからなかった… だから話をしたいなら自由に外に出ていい…と言いました。まじめにやろうとしている人の邪魔をする事だけは 私が守らないといけないと感じていたからです。介護の仕事でも「好き嫌い」があれば、好きなおじいちゃんやおばあちゃんは一生懸命みるけれど、嫌いな おじいちゃん、おばあちゃんは適当にあしらわれる…そんな事が起るのです。 神様でも仏様でもない我々が何ゆえに人を差別できるのか? ありえないことです。そんなことをした人は必ず 自分がそんな目にあうことになります。 仕事事情、恋愛影響 はお互い微妙なバランスの上に成り立っていて仕事も恋愛も○が一番です。 仕事○、恋愛×も仕事×、恋愛○もよろしくないのです。 皆さんもいい仕事、いい恋愛をするために好き嫌いをなくし、日本人としての誇りを胸にこだわって生きてみま せんか? いい人生がきっと待っています。

平成20年7月2日

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<院長の独り言 パート63>
『言葉は面白い“師”と“士”の違い—そしてこだわり—』

いつも思うのだけれど、言葉は面白い。とくに当院では臨床工学技士という職種があって透析部門では 大変大きな力を発揮している。

技士という士に強い情念じみたものさえ感じさせるほど、技士たちは 技師と書かれると強く反応する。まるで自分の名前を間違って書かれたら怒り始めるかのごとく…そこで調べてみました。師と士の違いについてを…

さて資格の名称には「士」と「師」があります。 まず「士」は弁護士、税理士、社会保険労務士、行政書士、理学療法士、作業療法士、栄養士など 一方「師」は医師、看護師、診療放射線技師、柔道整復師、鍼灸師、美容師など 何故違うのでしょう?辞書で調べてみると 「士」:一定の資格・職業の人 「師」:技術・技芸などを表す語について、その技術の専門家を表す。 と書いていました。詐欺師も「師」がついています。詐欺師は資格の有無にかかわりなく、技を究めているからだそうな。「師」が就く職業の人は、技を極めているということなんでしょう。 案外うちの臨床工学技士は技士の「士」にこだわるけれども、結局はこの違いを調べている人はいないといっても過言ではありません。

言葉にこだわることと、内容(中身)にこだわることは大きな違いがあります。 言葉という物質にこだわるのは「みんながそうだから」「文字という違いを仕事の違いとしたいから」 などという非常に小さな内容であります。 内容にこだわるというのは、すなわち心がこだわるという事でいつもこのフログでもいっぱい描いてきた 一生懸命というキーワード、そして精神、魂のこだわりです。

あー、すばらしき臨床工学技士たちよ。確かに言葉の違いにこだわるのはいいことだと思うが 心のこだわりを忘れずにいよ。 君たちは「士」か「師」でこだわる程度の人じゃない。一定の職、資格をもつものとしての大きなプライドを持て。 私は思わずそのように感ぜずにはいられないのでした。

平成20年6月2日

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<院長の独り言 パート62>
『貧乏と貧困—それはおんなじ意味なのか?—』

去年の安部内閣は「美しい国づくり」を銘打って発足しました。しかし約1年の短命内閣でした。 日本はいや世界は環境を大事にしなくなってから、私はおかしな方向にいっていると思っています。

簡単な話でご紹介しますと、皆さんは 自分の住む家をゴミだらけにして、換気もせず放置していて、ゴミも捨て放題。このような不潔な環境で健全な精神と身体が宿るとお思いでしようか? きっと難しいと思います。 それが今まさに地球規模で行われていると思ってもいいのではないでしょうか?

昔は右を向いても左を向いてもイナゴがいたり、川を泳げば水カマキリやタガメなどもいて 近くの山にはセミやカブトムシ、くわがたがいっぱいいました。今探すのがしんどいですね。

幕末の鎖国で遅れた日本の状態を見て発展途上国から来たアメリカやイギリスの人たちは 国の見た目は確かに貧弱で未開な土地という認識であったようですが、実際の日本人と接触して その暮らしぶりから「日本人は貧乏だが貧困はないね」といったそうです。 これこそが日本文化の美しいところです。

ヨーロッパのような貴族的なきらびやかな世界は日本にはあまり存在しません。しかし各家庭には 畳、障子があり、瓦ぶきの屋根 四季折々にみせる太陽の素顔が存在していました。 こんなことから考えて貧困とは社会にどれほどの富や財を成していても、その恩恵に与えられずに 食に飢え、寒さに凍え、忘れ去られて捨てられた人がいること 今の現代では老人の中にそのような人が多くいる気がします。 今ある後期(長寿)高齢者制度はまさにその最先たるもんに思うのです。

私は昭和30年代の人間ですからその狭間にいましたが、今の現代は携帯電話、コンビニエンスストア 夜遅くまでのあるいは24時間の食事をする場所など、またゲームなど いろいろ便利になっています。 しかし一方忘れ去られた老人が多く存在します。この方たちは子供に孫に自分たちのように食うもののない世界で惨めにしたくない思いで一生懸命日本を作ってこられた方たちです。今私たちが存在する理由の 多くはこのような努力があってこそのものなのです。 我々は富んでいるように見えて実は貧困でもあるのです。

昔の日本は物乞いも少なく、社会の秩序を保って着るものがあまりなくても助け合って生活をしている そんな姿が多く見られました。そんな姿を見て外国人は日本人に対する尊敬の念も持っていたようです。 今は、自分さえよければそれでいい。自分を守るのに必死です。そのエネルギーを変換させてみんなで 幸せになろうと考えたときみんなが幸せにつながるのではないかと思っています。

こんな奇麗事を言っている自分も未だに自分中心な部分も多々あると思います。まさしく「あるがままを受け入れる」という松下幸之助氏の言葉を思い返すこともあります。人は結局、きれいに生きることはできない気がします。きれいでいたいと強く願うことや祈ることはとても 大切ですし、その信念は非常に大切だと思っていますが、いいところも悪いところもいっぱいあるからこそ 人間たるゆえんです。

貧困になるのは悲しい。貧乏でも幸せはありますが、貧困には幸せはなく、個人さえ良ければいいの精神のみです。もう一度貧乏に戻って暖かい日本の美しかった国を取り戻せるのなら(あの頃はみな貧乏 だったからかもしれませんが)日本人もまだまだ捨てたもんじゃないなあって思っているのは私だけで しょうか?

少し前回と重なる部分も多々あったかもしれませんが、この4月移動や新入が多いこの季節。 「私」を捨て「公」に生きる精神が私の今の日本に対する提案あり今回のコラムでもわかっていただければ 幸いです。

皆さんはどう思われますか?

追伸:先日当院の透析回診の最中に「先生、4月の独り言よかったですね」と声をかけていただきました。 Tさま、いつもご愛読ありがとうございます。照れくさくって少し事務的な対応だったかもしれません。 本当ははしゃぎたいくらい嬉しかったです。これからも宜しくお願いします。

平成20年5月1日

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<院長の独り言 パート61>
『許すということ—それが全ての原点かもしれない—
3つのゆ(ゆるす、夢を与える、有言実行)を昨年実行したけれど…
追記:久しぶりの便り:友から…』

最近「ゆるすということ」という本に出会いました。ジェラルド・ジャンポルスキーという人が書いた この本は素敵な本でした。世界に百以上の「生き方を変える、ヒーリングセンター」を設立されて 「ゆるし」は自由と幸せ、希望をもたらす唯一の方法である と述べているのです。

人間は完璧ではありえないことを皆さんは知っています。だからこそどうあるのが一番いいのか? このコラムでも何度も申し上げてきたことですが、私は世界の人々が統一した考えを持つことは できないと思います。だから争いが起こります。そして戦争がなくなりません。

相手に「自分の思想に併せろ」 というようなことが可能にはとても今の自分には思えないのです。 私は神でも仏でもない。したがって正しいことをしているわけでもありません。いや願っても叶わない ことなのでしょう。もっと根本的に考えてみて、そもそも正邪さえ怪しい問題です。正邪は勝手に 人間が思っていることかもしれないですね。法律にしてもどんどん改正されるのですから…

しかし人間は判断基準の一番最初に「正しいこと」を無意識にあるいは意識的において考えています。 実際にあの神や仏の教えでさえ、宗派の違いで喧嘩いや戦争を行っている現状があるのです。  

ジェラルド・ジャンポルスキーは磨きよう(考えよう かな?)によっては、皆さん一人一人、自分自身 が黄金の宝物であるといっています。それに気づいていないのだと…

みんな宝物を探しに行くの だけれど本当は自分が宝物なのです。

「私は不幸である」「お金がない」そんな思いから周りの人にしがみつき、すがり付いてその関係 にすがろうとする。「物があれば幸せになれる」という勘違いと同時に「周りの人のせいで幸せに なれない」と感じています。この点はあのスピリチュアルカウンセラーの江原さんも今の世界は 「物質至上主義」であり、物の価値=人の価値になっていることが問題で、「精神至上主義」を唱えて おられます。  

外面的なことにこだわる自分を「エゴ」と呼び、それは「あなたのためを思って」とその自分を正当化し ニコニコあなたに寄り添ってきますし。そして「世の中は不公平」と繰り返しいつも警戒をしていない とひどい目にあうぞ と囁きます。 最終的には「エゴ」は「ずっと幸せでいるなんて不可能だ。人を信じたら傷つくもんなんだよ。だから 幸せを手に入れたいなら物質的な現実に頼らなくてはいけないよ」と言うのです。 つまり人間は信じることはできない。だから物に頼れ…と  そんなことはありません。人間を信じない選択もありますが、信じる選択もあります。またかりに 信じれないなら是非許すことが大切なんです。

本当に許すのは他人ではありません。他人を通して見ている自分を許すことが最終目標です。 具体的な例を挙げましょう。幼少期に親に虐待を受けたとします。 親が許せません。どうして親なのに私を虐めるの?私を虐待するの?本当に親ですか? この方は親が許せません。そのために犠牲をいっぱい背負って生きています。 親のせいで人を心から信用できずにいる。だから物は人を裏切らない。 恋人ができた。でも私を捨てた。人は信用できない。私しか信用できない(いや本当は自分さえ 否定しています)。物は私を裏切らない。多くを表現すれば自分が嫌われてしまう。無口なのが一番。 親を許せないから自分を認められずに自分を信じられない。 本当に自分を信じているならどんな状況でもそれを跳ね除ける、いとおしい自分がいるはずです。  

もうあなたはいっぱい苦しんだんじゃありませんか? もう苦しまなくてもいいのですよ。 もう自分を許してください。そのために親も許してください。親が許せない間は自分を許せないはず ですし、これから先も必ず人間関係でごたごたは続くのです。 そこでこのコラムを見ているあなたに伝えたい。そんなに偉そうに言ってるけれど筆者は実際に 自分がそうなっていないからわからないでしょう…と思っているあなたへ伝えたい… 誤解のない様に言っておきますが私も父親に月に二回ほど殴られて育ってきました。またうちは 半端でなく文鎮を振り回してきたり、包丁が出て突きつけられたこともありました。 当然幼少時期にトラウマになりました。本当に私はこの人の子供なんだろうか?とまで思いましたし、 悲しい思いをしました。しかしそこから許すことができたときにいい関係でいれるようになりましたし 今では父に感謝さえしている自分です。 考えてみれば、「人生を生きる」と感じるのは生き生きした感覚を持つときですね。 新しい出会いや新しいプロジェクトを進行しようと思っているときなど、あるいは新築の家に入るとき などには人は生き生きします。 そして結局は生きることは「自分探し」の旅かもしれません。人生=自分を知ることなのかもしれません  他人を許すことは自分を許すためだと今回の独り言を見て感じていただいた方。きっといい人生が 開けます。もしまだそう思えない方はいっぱい話しをしませんか? さいきじんクリニック.では5週目の 水曜日に相談外来があります。是非お越しください。 今回のこの話を全ての人に知ってもらいたい。そして残念ながら我がクリニックを去っていった 愛しきスタッフにも届いて欲しい…そう思いながら一人院長室でコンピューターをぱちぱちと 叩いています。

平成20年4月2日

追記  

さて先日私の大学時代の大親友 H君から久しぶりにメールをもらいました。またもう一人1年 ぶりにYさんからメールをもらいました。ずいぶん久しぶりで涙が出そうに嬉しかったです。 H君もYさんもとても大切な人たち…H君は医師で耳鼻科の医師です。才能溢れる彼はこの独り言をいっぱい読んでくれているみたい で、本当に「齋木」が書いてるの? と以前の君を知っている私からは想像できなかったらしくゴースト ライターでも雇っているのか?と思っていたみたいです。失敬だなあ。私が書いていますよ。 彼は、漫画を書かしても一級品。勉強させても我々凡人が見て勉強するほどのノートをまとめたり エレクトーンを習っていてピアノの腕も一級品。本当に才能溢れる彼です。そんな彼が私なんかを 友人として長く付き合ってくれていることにただただ感謝します。 今回のコラムにも書きましたが、生きる活力を一杯頂きました。ありがとう。 彼とは時々今も歴史の話をメールでしています。これからも宜しくです。  

もう一人のYさんは以前お付き合いさせて頂いていた方ですが、遠くにいるのでもう会えないとは 思いますが、突然連絡をくれました。季節感の漂った優しい文面に癒されました。 通訳の仕事などをされておられ、元気にやっておられるようです。 全く連絡がないのでどうしてるのか? わからなかったですが…ほとんど同時に届いたメールに 私は嬉しく思いました。生きていると悪いこともいっぱいありますが、こんなにいいことも突然やって くるもんですね。感謝…

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<院長の独り言 パート60>
『私憤と公憤—賢者司馬遷はかく語りき 学ぼうー』

去年の暮れに雑誌を見ていました。中国の司馬遷は2100年前の人物で「史記」という中国至上最高の歴史を書く人物です.52万6500文字にわたる史記は130巻からなる有名な歴史書です。

この司馬遷は思わぬ不幸がありました。友人をかばう行為に出たため、時の権力者漢の「武帝」に男根を切り取られるというそれはそれは死刑判決にも等しい断罪でした。しかもその友人の罪も冤罪であったという事。つまりいわれのない罪を問われ、罪に服した形になりました。

これは現代でいうところのいわれのない理由での左遷、降格、リストラなどに匹敵します。皆さんがこんな目にあったらどう思うでしょうか? 自分に非がないのに人生が暗転していく...ここで大きな分かれ道が存在すると思われるのです。

人間裁くほうも完璧ではないのです。もちろん裁かれるほうもそうでしょうが...司馬遷は求刑を受けても、「私憤」を持ち出すことがなかった...父親も司馬談という人で武帝の「封禅の儀式」に口を挟み遠ざけられた人で怒りを買いました。息子に「後世に名を残せ」と遺言したといいます。 勘違いのない様に申し上げますが、けして武帝の冤罪を肯定しているわけではありません。むしろ起こってしまったこの事実をどう受け止めたか? その司馬遷の心に多くの人生を生きるヒントがある という事を強調したいのです。

では私憤を司馬遷はどういう風に乗り越えたのか? 参考にしてみましょう。

「この書を完成させ山の奥深くに保存し、都の人に伝えることができるなら、自分の受けた辱しめの責め を償うことができ、刑を受けたとしても悔いることはない」といったそうです。

つまり公共心の立場になる=公憤に置き換えることで私憤を乗り越えたのでした。 そこで思い出すことがあります。そういえば自分にもおんなじことが多々あったように思います。私も今でこそ組織のトップにおりますが、以前は大きな組織の中の下ずみを5年間、中間の仕事を5年間行いました。その間に別の人の行った事に対して、患者さんのたてになって、不当と思われる仕打ちをいっぱい受けました。若いときには私憤であったものもそのうち公憤が出てきたこともありました。

人間には欲があってなかなか治まらないものです。その欲との戦いのような気がしました。

一般に多くの現代人は有名になるために手段を選ばず,有名=財力(金)と考えている風潮があります。しかしここでも「私」があるばかりで「公」がない状態です。「公」とは「誰かのために」という行動スタンスを表し、それこそが幸せと成功の道なのだと教えてくれるのだ...

もう1つ大切なことは「常に恥を思い出し、冷や汗が出るほど服を濡らす」そんな憤りのエネルギーは実はマイナスのみではない。持続力のある高性能のエンジンである。しかし,この憤りのエンジンを正常に動かすには「私憤」であってはいけない。あくまでも「公共心」でないと大成しないと言っている。

どんなにマイナスに思えることも、忍耐で「私憤」を「公憤」に変えていけば必ず人の人生は好転する。

皆さんはどう思われますか?

平成20年3月1日

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<院長の独り言 パート59>
『バレンタインデーの秘密—男女の恋話をお教えしよう—』

この間ある女性が言ってました。そう言えばよく聞く言葉だなあって思いました。

「最近、いい男いないよなあ」

そこで男代表(勝手に思っているだけなんだけど...)としては、男をどうのこうの言う前に女はどうなんだよ? って思いました。

いきなり男VS女みたいになって申し訳ないですね。別に対抗しているわけでなく男がダメっていうことは女もダメって言ってるようなもんに聞こえちゃうんです。世の中には必ずプラスがあってマイナスがある.微妙なバランスから成り立っている事が真理であります。だからその女の人の発言は自分の女を否定している感じに聞こえちゃうんで。

世の中にはバランスが確実に存在していて男がいるから女がいる。上水道があるから下水道がある。昼があるから夜がある。ってことですよね。そんなときにまたまた本に出くわしました。

「日本にはいい男がいない」というまさしく挑戦的なその本には幾つかの理由が書いてありました。

そもそも男が減っていること、貧富の差の拡大、出会いのパターン変化、気に入った男に出会っても確率は低く長くいると必ず飽きるなど。また女も、自分の価値を見出せない。妥協が下手。男が馬鹿に見える。待っていたらいい男が現れると思っている。などいろんなことが書いていました。

そもそもどんぴしゃの一目惚れをする確率は0.002%しかないとの事です。

それともう一つ今日は面白いことを...最近おっさん化した女性が多いといわれるので...まず右手を出してみてください。「二D・四D比率の法則」というのがあって 人差し指と薬指の長さを比較して薬指が長い人は男性的です。この指は男性ホルモンテストステロンの影響を受けます。ですから最近おっさん化が心配なあなた...是非みてやってください。幸せがつかめそうな指でしょうか? 皆さんはどうでしたでしょうか???

さてもう少しそこまでに恐怖のバレンタインディーが近づいてきますね。

平成20年2月6日

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<院長の独り言 パート58>
『あけましておめでとうございます—7年目の冬—』

さいきクリニックから7年目、さいきじんクリニック.から5年目に突入です。本当にいろんなことがあったものだ。と思っています。

先日、ある方から
「人間の心を変えることと過去は変えれない」という事を教わりました。

これは心理学の中では基本のようです。 成る程なあ……成る程君って感じでした。(成る程君がわかる人は多いに笑ってください)私はわかっていたのだろうか? なんとなくはそう感じていたんでしょうね。

この独り言でもかつてから触れています。辞めていく人、病院を去っていく患者さんを
無理をして追いかけようとしたことがありません。すべてこの世の中に起こることは偶然を装って必然と思っているからです。自分の願い、思いと完全にマッチすることは難しいでしょう……願うこと、思うことこれも自由。ですがそのとおりでないといけないことはありません。

昨年はそうは言っても私の心の弱さ? 甘さ? からか引き止めたスタッフが数名いたなあ……まあそれも必然なんだろうなあ。心を変えれるほど私は立派じゃない。ましては神仏ではないので崇高でもない。単なる40代のおっさんなのです。

大きな会社の人がいっていました。50人の従業員を抱えたときに必ずがたつく時が来る。今、さいきじんクリニック.はそんな時かもしれません。それでもさいきじんクリニック. なんです。患者さんがおられます。回っていくのです。

来年の正月にはどんな文章を書いているのだろう。自然の大宇宙の理(ことわり)を胸に抱(いだ)いて……

さあ今年も幸せ探しのさいきじんクリニック.の一年が始まります。7年目の冬によく紆余曲折がありながら今までやってこれたもんだと思ってやまないのです。

「あ はっぴー にゅー いやー」……

平成20年1月2日

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