『日本の教育基盤は何がいいか?』

斎木院長の独り言

さて前回は『内外合一、活物窮理 をめざして -我が親友にむけて-』 についてお届けし、お送りしました。
今回は『日本の教育基盤は何がいいか?』についてお話したいと思っています。

日本の教育基盤は何がいいか? 昨今問題になっている教育問題…多くの教師が窃盗や盗撮やわいせつ行為などもちらほら見かけ、また少年は犯罪に手を染めていく。「何かが違う」とみんなが思っていると思うのです。日本と外国の違いは道徳における教育がないことも大きな原因と思われます。

外国ではキリスト教などから道徳教育がなされています。日本ではどうでしょうか? 日本には国の勧める国教はないですが、宗教といえばやはり仏教が上がるでしょう。しかしその仏教も多くの宗派にわかれており、きっちりとした寺社もありますが、一部ではお布施の取り合いみたいなお金の絡んだ話が蔓延しております。

日本の道徳観の基礎がわからないというのが現状です。

日本らしさとは何か? 日本の花はパッと咲いて散る…  花は桜木、人は武士
つまり「武士道」こそがやはり日本人の心の奥にあるものと思われます。武士道の中心の考えは「義」。これすなわち人の骨格を成すものであり、骨がなければ首も胴体もなりたたない。才能や学があっても「義」 の精神がなければ武士ではないということです。

具体的にはお金などは二の次で、打算や損得から離れ自分が正しいと信じる道を貫くことが武士の正しい姿であるとされた。従って銭勘定を嫌い商売は商人に任せ人々の模範を示すために「士農工商」の階級制度ができていたのであります。とくに現代の人は見えるもの、信じれるものにのみ手を出して、常に損得を勘定し、どちらが得かばかり考えて行動している。その最も大切な骨格の考えがまさに「義」であり、その日本で有名な事件が「忠臣蔵47士討入り」である。
この「義」の使われる言葉 
「道義」「忠義」「仁義」「大義」「義理」「恩義」「義務」などなど正しい道を示すものが義…そしていわゆる フェアプレイなのである。
次に「義」の対極にある「仁」について…
「仁」は人間に対しての思いやり、他者への憐れみの精神であり、むしろ徳を表す女性的な優しさであります。「義」が厳格な男性的なものなので「義」と「仁」のバランスが最も大切です。
「仁義」という二文字は優しさの上に成り立つ厳格な正義を貫くことを意味しており、義にすぐれば固くなる。仁にすぐれば弱くなる(義に偏ると厳しすぎるし、仁に偏ると甘すぎる)。とよく言われています。

その他、武士道には「勇」「誠」「礼」「名誉」などがありますが、機会あれば是非ともお話したいのです。つまり日本には何千年も昔から続く武士道の中に、このような立派な教えがしっかりとあったことを今この時代を生きる我々は認識し、先祖の思いを少しずつでも繋げていけたなら…と願ってやまないのです。

つまり日本の教育基盤は外国の宗教による道徳教育に見習って、「武士道」では如何? という提案であります。
皆さんご記憶にあるかと思いますが、少し前の日本の5000円札に登場した新渡戸稲造さんはまさしくこの「武士道」を説いた方だったのでした。

平成27年7月2日

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