『内外合一、活物窮理をめざして -我が親友にむけて-』

斎木院長の独り言

さて前回は『学ぶ ということ』 についてお届けし、お送りしました。
今回は『内外合一、活物窮理 をめざして-我が親友にむけて-』についてお話したいと思っています。

今回は内外合一、活物窮理 という少しむつかしいお話に感じますよね。
なぜこんな事を題材にしたのか?大きく二つ理由があるのです。
一つ目は 当院に長きに渡り 従事してくださっている 古くからの友人 石田敦久先生の大好きな言葉であるから…
またなぜ彼がこれを地震のバイブルにしているか?はお話する機会があればしたいとは思います。
二つ目は 内外合一、活物窮理こそが いわゆる 現代で言うところの全人的医療の源で、私どもの目指す医療に他ならないからです。

さてこの言葉は 「華岡青洲」という紀州にいる医師が自身の考えをまとめた言葉なのです。きっと皆さんも聞いたことがあると思いますが、世界で初めて麻酔を行った外科医と思っていただけたらいいのですが…。この青州医師は  「内外合一」とは 外科を行うには内科、すなわち患者さんの全身状態を詳しく診察し十分把握した上で治療すべきである。いわゆる外科であるから外科しかしないではなく、患者さんにとって一番いい方法を外科、内科、東洋医学など垣根を越えて考え実践せよ…という考え方です。

いわゆる今風に言えば総合的診療を行った上で専門的に診療しろ.. ということなのです。また「活物窮理」とは 治療の対象はあくまでも生きた人間であり、それぞれが異なる特質、体質をもっている。そのために治療を行うのであれば人体の基本理論を十分熟知して深く観察し、患者自身やその病の特質を究めなければならない…という考え方です。

ここで、大切なのは人体の基本理論を熟知して…なのであります。やみくもに皆が異なる体質だからと治療を進めれば100人に100通りの治療法ができてきます。しかし基礎知識を熟知することで100通りが数通りくらいまでには絞れるわけです。華岡青洲さんは「内外合一、活物窮理」というわずか八文字の言葉の中に医療理念を提示し、その人生哲学を貫いた方でもありました。

現代の医療技術は格段に進歩しましたが、ある意味専門性が高まるあまり、自らの専門分野以外には対応できないあるいは対応しない医師の存在、マニュアルに沿った診療しかできない、病気を診て患者を診ない医師の存在が問題視されています。まさしく私も、強くこのことを感じており「私の専門は○○だから… わかりません。しりません」 という言葉は使わないようにしています。患者さんのニーズは何か?できれば病院をあちらこちらに移動したくないはず…できれば一箇所で見て欲しいであるはずです。だからこそ今の現代医療が失ったものは、"内外合一、活物窮理"の精神といえるでしょうね。

平成27年6月2日

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