『孔子の教えに学ぶこと』

斎木院長の独り言

さて前回は『いい人は成功者になれない ~こんな本を読みました~』についてお届けし、お送りしました.。今回は『孔子の教えに学ぶこと』についてお話したいと思っています。

孔子とは 中国 春秋時代の思想家、哲学者と言われています。儒家の創始者でその弟子に孟子(性善説:人はもともと善である)と荀子(性悪説:人はもともと悪である)がいました。

孔子の最も説きたかったことの一つに「仁」があります。
「仁」は人間関係の基本にあるもので、主に「他人に対する親愛の情、優しさ」を意味しており、儒教における最重要な「五常の徳」のひとつ。また仁とを合わせて、「仁義」と呼ぶ。
古代から現在に至るまで中国人の倫理規定の最重要項目となってきた。中国の伝統的な社会秩序()を支える精神、心のあり方である。
さらにいろんな国を渡り歩いた孔子は「君子たるものは仁者であるべき」と説いています。
なお、孔子は、『論語』のなかで「仁」について明確な定義をおこなっておらず、相手によって、また質問に応じてさまざまに答えている。言い換えれば、儒家の立場においては「仁」とは人間にとってもっとも普遍的で包括的、根源的な愛を意味するものとして考えられてきたのであり、「孝」「悌」「忠」なども仁のひとつのあらわれだと主張されているのです。

さて代表的な教えに少し紹介します。

君 臣を使うに 礼をもってし、臣 君に仕うるに 忠をもってす
人をして信無くんば その可なるを知らざるなり

→君主は臣下を正しく礼遇し、臣下は誠実に本分を尽くすべきで、人に信用する心がなければうまくいくはずがない。

仁は 人が荷物を担ぐ様を表す(にん辺に右は二本の棒=表意文字)

→これは重い責任と忍ぶ人の心を表し、また二人であるならその双方が負うべき責任と礼節の関係性を表している。

巧言令色 少なし 仁

→口先ばかり上手で上辺だけ(巧言)、かつ愛想の良い顔をするもの(令色)に仁徳はない。

忠恕

→他人の身の上を自分の身の上と重ね、親身になって思いやる事。
忠恕(ちゅうしょ)とは、孔子の唱えた人間の最も本能的で基本的な徳。「忠」は人間が自然に持っている真心。「恕」は人間が自然に持っている思いやりの心忠恕をひとつの漢字「仁」で表す。

以上、特に孔子は「仁」を突き詰めて考えていて、人がよく誤り考えてしまう自分勝手、自分中心にいることやその場しのぎが通用しないこと。また他人を思いやっているようで、実はその実自分の都合勝手を中心にしている事が多く、それは「仁」からかけ離れたものであること…そして徳を失う行為であると述べています。

南総里見八犬伝で「仁義礼智忠信考悌」という不思議な球を持つ勇者(八犬士)たちが因縁のある玉梓(たまずさ)の怨霊と戦う物語であるが、その中にやはり儒教の教えがあり、作者の滝沢馬琴は伝えたかったのである。私は小さいころにこの八犬伝のトリコになったので、一度はこの場所で書いてみたい話でした。

今回、かなり趣味的で申し訳ないですが、皆さんは何かをお感じになられたでしょうか?
「仁」はなかなか難しいものですが、日々徳を行えばたどり着けるものと思います。私も、気を付けて行動していきたいと思っています。

平成26年11月2日

▲ページTOP

×このページを閉じる

©2014 Saiki jin clinic Seto Fukuyama all rights reserved.